見出し画像

【私家版】般若心経《般若波羅蜜多女神心経》(梵和訳)

 サンスクリットの勉強にかこつけて般若心経の原文を写経していたところ、自分でもその日本語訳を考えてみたくなった。場合によっては超訳になってしまった部分もあるが『自分はこう読んだ』というものであり、全くの誤りではないつもりである。もし見かねる部分が有ればご指摘いただけるとありがたい。
 また和訳の内容は全くのゼロからではなく、書籍やネット上の資料も参照させていただいた。ただし残念なことにそのほとんどが漢文からの訳であり、『漢字』に引き摺られているようであった。原文のサンスクリットからの訳も在ったので参考にさせていただいたものもある。数多の先達に感謝申し上げる。
なお、サンスクリット原文は「岩波文庫『般若心経・金剛般若経』中村元・紀野一義」を底本とした。


【状況説明】王舎城(ラージャグリハ)の霊鷲山で、お釈迦様は数多の神々、菩薩、人間、アスラ、天人(ガンダルヴァ)に向けて説法を行おうとしたが、聴衆の前で「深遠なるさとり(Gaṃbhīrāva-saṃbodhiḥ)」という深い瞑想に入られた。ところがいつになってもお釈迦様は眼を開かない。観世音菩薩も、お釈迦様に感応道交し深い瞑想に入るのであった。


チベット版『般若心経』表紙(中央が般若波羅蜜多女神)

प्रज्ञापारमिताहृदयसूत्रम् 般若波羅蜜多女神心経

Namas Sarvajñāya
नमस्सर्वज्ञाय॥
一切智者に礼したてまつる


āryāvalokiteśvaro bodhisattvo gaṃbhīrāyāṃ
आर्यावलोकितेश्वरोबोधिसत्त्वोगम्भीरायां
観自在菩薩
prajñāpāramitāyāṃ caryāṃ caramāṇo vyavalokayati sma:
प्रज्ञापारमितायांचर्यांचरमाणोव्यवलोकयतिस्म।
行深般若波羅蜜多時

[大乗佛教の象徴としての]聖観世音菩薩が、深甚なる般若波羅蜜多の[彼岸に至る]瑜伽行を実践したことで[真理(お釈迦様と感応道交し、その瞑想している境地)を]理解した


pañca skandhās tāṃś ca svabhāva-śūnyān paśyati sma.
पंचस्कन्धास्तांश्चस्वभावशून्यान्पश्यतिस्म॥
照見五蘊皆空 度一切苦厄

[その見定めた内容とは][世界(物質界と生物界)を構成する五つの集合]五蘊(色受想行識)があるが、それらの本質は空である(絶対存在ではなく因縁により起こる一時的な姿であり、想像も出来ないほどの広がりが在るものの)ことである。


iha Śāriputra rūpaṃ śūnyatā śūnyataiva rūpam.
इहशारिपुत्ररूपंशून्यताशून्यतैवरूपम्।
舎利子 [ 色性是空 空性是色 ]

[小乗佛教のエリートの象徴としての]シャーリプトラよ、[その核心とは]この世の物質は空性[無数の原因により一時的に成り立っている姿]であり、空性とは、ただ物質[の一形態]だということに尽きるのである


rūpān na pṛthak śūnyatā śūnyatāyā na pṛthag rūpaṃ.
रूपान्नपृथक्शून्यताशून्यतायानपृथग्रूपम्।
色不異空 空不異色

物質的現象から離れて空性はなく、空性から離れて物質はない


yad rūpaṃ sā śūnyatā yā śūnyatā tad rūpam.
यद्रूपंसाशून्यतायाशून्यतातद्रूपम्।
色即是空 空即是色

物質[と称するもの]は空性であり、空性[無限の存在]であるとは物質の[存在が在るからこそ理解できる相対的な姿の]ことである


evam eva vedanā-saṃjñā-saṃskāra-vijñānāni.
एवमेववेदनासंज्ञासंस्कारविज्ञानानि॥
受想行識亦復如是

同様に[五蘊の残り4つの]受[感受/感覚]・想[想念/知覚]・行[意志的形成力]・識[認識によっておこる心のはたらき]もまさしくこのような[空性の]ものなのである


iha Śāriputra sarva-dharmāḥ śūnyatā-lakṣaṇā
इहशारिपुत्रसर्वधर्माःशून्यतालक्षणा
舎利子 是諸法空相
anutpannā aniruddhā amalāvimalā nonā na paripūrṇāḥ.
अनुत्पन्नाअनिरुद्धाअमलाविमलानोनानपरिपूर्णाः।
不生不滅 不垢不浄 不増不減

シャーリプトラよ、この世においてはあらゆるものが空性[無限の存在の一時的な姿]で成り立っている
[其等は]生じたこともなく、滅することもなく、汚れることもなく、汚れを離れることもなく、欠けていることもなく、満たされることもない


tasmāc Chāriputra śūnyatāyāṃ na rūpaṃ na vedanā
तस्माच्छारिपुत्रशून्यतायांनरूपंनवेदना
是故空中 無色無受
na saṃjñā na saṃskārā na vijñānaṃ.
नसंज्ञानसंस्कारानविज्ञानं
想行識
na cakṣuḥ-śrotra-ghrāṇa-jihvā-kāya-manāṃsi
नचक्षुःश्रोत्रघ्राणजिह्वाकायमनांसि।
無眼耳鼻舌身意

それ故にシャーリプトラよ、空性から観れば、色も受も想も行も識もない[そのいずれも【諸行無常】(変化し壊れるという属性を持つ)故に苦であるから自己の本質ではありえない]
[従って]眼・耳・鼻・舌・身体・心[という六根]はなく


na rūpa-śabda-gandha-rasa- spraṣṭavya-dharmāḥ
नरूपशब्दगन्धरसस्प्रष्टव्यधर्माः।
無色声香味触法

色・声・香・味・触・法[という六境]もない


na cakṣur-dhātur yāvan na mano-vijñāna-dhātuḥ.
नचक्षुर्धातुर्यावन्नमनोविज्ञानधातुः॥
無眼界 乃至 無意識界

[十八界の最初の]眼界から[最後の]意識界までない


[na vidyā] nāvidyā [na vidyākṣayo] nāvidyākṣayo
नविद्यानाविद्यानविद्याक्षयोनाविद्याक्षयो
無無明 亦無無明尽
yāvan na jarāmaraṇaṃ na jarāmaraṇakṣayo
यावन्नजरामरणंनजरामरणक्षयो।
乃至無老死 亦無老死尽

[明はなく]無明はなく[明の滅はなく]無明の滅はなく、乃至、老死はなく老死の滅はない
(初期仏典の十二因縁もすべて実体がない⇒煩悩により悪業を行い、その結果として苦があるという初期佛教をも否定する)


na duḥkha-samudaya-nirodha-mārgā na jñānaṃ na prāptiḥ.
नदुःखसमुदयनिरोधमार्गानज्ञानंनप्राप्तिः॥
無苦集滅道 無智亦無得

苦集滅道[四聖諦という原始佛教の根本原理]は存在しない、[知識として理解するような]知るべきものはなく、[『この世のあらゆるもの』には自己も含むゆえに『自己という存在』を]得ることもありえない[すなわち絶対的なものなど何もない][=おのれという実体など存在せず、大いなる広がりだけが在るゆえに苦などありえない]【諸法無我】


tasmād aprāptitvād bodhisattvanāṃ
तस्मादप्राप्तित्वाद्बोधिसत्त्वनां
以無所得故 菩提薩埵
prajñāpāramitām āśritya viharaty a-cittāvaraṇaḥ.
प्रज्ञापारमितामाश्रित्यविहरत्यचित्तावरणः।
依般若波羅蜜多故 心無罜礙

かくして[空(大いなる無限の広がり)を理解することで現象世界のあり方を正しく認識し]物質世界[や自我意識]から離れ[結果を求めず自由になった]菩薩達は般若波羅蜜多(プラジュニャーパーラミター)女神に帰依することで[智慧が確立し][煩悩という]心を覆う埃が取り除かれる

prajñāpāramitā - प्रज्ञापारमिता 般若波羅蜜多(プラジュニャーパーラミター)女神


cittāvaraṇa-nāstitvād atrasto
चित्तावरणनास्तित्वादत्रस्तो
無罜礙故 無有恐怖
viparyāsātikrānto niṣṭhanirvāṇaḥ.
विपर्यासातिक्रान्तोनिष्ठनिर्वाणः।
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

心の曇りがない故に恐れ[や苦しみ]はなく[煩悩による]顛倒を克服し[因果・業・輪廻のない]究極の涅槃に[菩薩達は]到達できた【涅槃寂静】


tryadhvavyavasthitāḥ sarva-buddhāḥ
त्र्यध्वव्यवस्थिताःसर्वबुद्धाः
三世諸仏
prajñāpāramitām āśrityānuttarāṃ
प्रज्ञापारमितामाश्रित्यानुत्तरां
依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅
samyaksambodhiṃ abhisambuddhāḥ.
सम्यक्संबोधिमभिसंबुद्धाः॥
三藐三菩提

(過去・現在・未来)三世一切の諸仏は、般若波羅蜜多女神に帰依することで最高の悟り[無上菩提]に至ることができたのだ。


tasmāj jñātavyaṃ prajñāpāramitā-mahāmantro
तस्माज्ज्ञातव्यंप्रज्ञापारमितामहामंत्रो
故知 般若波羅蜜多 是大神呪
mahāvidyāmantro ’nuttaramantro ’samasamamantraḥ
महाविद्यामंत्रोऽनुत्तरमंत्रोऽसमसममंत्रः
是大明呪 是無上呪 是無等等呪

それ故に知るがよい、般若波羅蜜多女神の[智慧の完成に至る]偉大な真言を、偉大な智の真言を、無上の真言を、比類なき真言を


sarvaduḥkhapraśamanaḥ. satyam amithyatvāt
सर्वदुःखप्रशमनःसत्यममिथ्यत्वात्
能除一切苦 真実不虚 故
prajñāpāramitāyām ukto mantraḥ tad yathā.
प्रज्ञापारमितायामुक्तोमन्त्रः। तद्यथा।
説般若波羅蜜多呪即説呪曰

それはあらゆる苦を鎮めるものであり、真理を違(たが)うことはない
[その]般若波羅蜜多女神の真言とは次のごとくである


gate gate pāragate pāra-saṃgate bodhi svāhā.
गतेगतेपारगतेपारसंगतेबोधिस्वाहा॥
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

往った女[般若波羅蜜多(プラジュニャーパーラミター)女神]よ、往った女[神]よ、彼岸[智慧の完成]へ往った女[神]よ、彼岸[智慧の完成]まで常に寄り添って同道する女[神]よ、悟り[真理]に我を導きたまえ。


iti Prajñāpāramitā-hṛdayaṃ samāptam.
इतिप्रज्ञापारमिताहृदयंसमाप्तम्॥
般若心経

これにて『般若心(智慧の完成に至る最も核心となる)呪』を語り終える。


釈迦牟尼仏と般若波羅蜜多(プラジュニャーパーラミター)女神を描いたチベットの写本


prajñāpāramitā - प्रज्ञापारमिता プラジュニャーパーラミター女神

#般若心経
#サンスクリット
#般若波羅蜜多 (プラジュニャーパーラミター)女神
#般若波羅蜜多女神
#プラジュニャーパーラミター女神

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?