ポストコロナ時代の教育(大学受験生視点)

皆さん初めまして、脱脂綿と言います。
先日3ヶ月ぶりに靴を履き高校の始業式に参加しました。家族以外の人と会い、かなり心が軽くなったと言うか、ほっとしました。

それはそうとポストコロナの教育について、高校の言い分に少し思う所があったので書き留めて置こうと思います。

…あ、題を見た人も多いでしょうが、綿はこの大きな時代の過渡期に大学受験を迎えるようです。サバイバル、ワクワクしますね。


一時期、学校不要論が持ち上がったことがありました。しかし未だ小中高と全て健在です。社会性や人間性など、生身で向かい合わないと育まれない力もある、という結論に帰着したのでしょう。
今回何よりも早く小中学校が休校になったことを思うと、本当に不要なんじゃないかと訝しんでしまいますが。

「予測不可能な時代を乗り越えるには、広い知識と経験が必要不可欠だ。」
とまあこんな感じのことを、綿と同じく多くの高校生が聞いたでしょう。
しかしまあツッコミどころが多いですよね。
乗り越えるって予測可能な時期がまた来るのか、とかそもそも今までも予測なんか出来なかっただろ、とかの言葉遊びはいいとしても。

現在の殆どの進学校は、"大学受験のための勉強を教えるところ" だと思います。受験科目に合わせてコースを分け、その科目で点を取れるようにするところですね。
一日中生徒を教室に拘束し、デジタルの環境を取り上げ、ペンを握らせる。言葉は過激ですがまあ事実でしょう。


綿の高校では、自粛期間中にオンライン授業を実施していました。自粛前の半分の時間で、ほぼ同じペースで学習を進められました。空いた時間で多くの本を読み、SNSで多くの情報を集めました。noteの存在を知ったのもこの期間ですし、何か発信したいと思うようになったのもこの期間です。綿はボーカロイドの曲を聞きあさるのが趣味なのですが、この期間にDTM(デスクトップミュージック)をちょこちょことやってみて、自分でボカロ楽曲を制作したい、と思いました。時間あったので。

…やっぱ要らなくないですか?高校。教師だって経験が必要って認めてるのにその時間を奪う意味がよく分かりません。勉強はオンライン授業で事足ります。通学しても椅子に座ってるだけなら、家にいた方が時間を有意義に使えます。
たった数十人の教師の話を毎日聞くよりも、デジタルで数千人の知見を齧り興味深い分野を掘り下げる方がいいと思いませんか?

小学校は必要だと思いますよ。ただそれ以降の教育は、型に嵌める必要性は薄いんじゃないか?と3ヶ月で感じた、脱脂綿でした。

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