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いがぐりのようなスキルを持ちながら振り子のような考え方をしたい

こんにちは、脱脂綿です。今回は綿の思う、理想の生き方について。
その辺の高校生の理想の生き方聞いてもおもんないでしょうが、名が知れたら価値が出てくるかもしれないのでね、日記として書いておきますわ。


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まずはスキルの方。常識があって普通のことが出来る人よりも、何か一つでもずば抜けた人材が求められる時代、"尖る"ことは何より大切だと思う。手に職つけた人は、かなり強いだろう。

綿は幼少期から、ぶどうのようにスキルや知識を身につけていくことを意識していた。よく言われることだが、1つの知識に偏ると偏光板を通してしまうし、薄く広くでは何も出来ない。だから、種を幾つも用意し、その周りに果肉を拡げて行くようにするのだ。
もちろん落合陽一さんも言うように、複数分野に力を入れる事でかけ算の希少さを手に入れられるのも利点である。

また綿は興味が出た分野にしか種を撒いていない。良いのか悪いのかは分からないが。挙げるなら…手品、キャンプ、ボーカロイド、VR、ノーコード、クイズ、etcetc…。綿のを挙げてもどうしようもないか。(今更

次は考え方である。つい最近、インプットとアウトプットのバランスは大事だ、と言うようなツイートを見かけた。そのときに、思想はスキルと違って尖らせてはいけないのではないかと思った。いや正しく言うなら、尖らせ続けてはいけない、か。偏光板の例はもういいだろう。だが、中庸な意見を持っていればそれでいいのか?綿はそうは思わない。

"真の意味で"中庸な考えを持っている、と言うなら、好みは別として1つの理想だろう。ただ現実問題、どうしても"身の回りで"中庸、となるのが精々だろう。そうなるとああ怖い、自分が基準だと考えてはいるものの実はモノサシの端っこだった、となるととても恐ろしい。

尖り続けず中庸でもない思想?何だそれはと。綿の結論は、両極端から物ごとを見ましょうね、少しは真ん中からも見ましょうね、ということである。
端っこと思っていた思考のさらに先に出会ったら、ああここはまだ端じゃなかったか、と納得しそこまで行ってみればいいのだ。

往復ダッシュをするうちに、モノサシの全体像が想像できて来るだろう。すると今度は、モノサシの上とその外部を行ったり来たりする訳だ。楽しいなあ。
ん?全体像を見るということは要するに真の中庸を目指していることになるのか?まあ分からんな。

結局、綿の理想の生き方とは、色んな角度に尖った身体をしながら極端と極端を反復横跳びする生き方だ。

皆さんはどうだろうか?理想の生き方とは?尖り続けず中庸でない考え方とはどのようなものと考えるだろうか?まあ是非この機会に、もう一度自分と語り合ってみませんか?より一層輝きを増すことになると、綿は確信しておりますので!

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