授業の動画配信・アプリ導入に関して指導者が注意すべきこと

多分、今後動画配信とかで授業の補填をしていく形に日本の教育は飲まれていくんだと思う。大歓迎。ずっとオンラインとかプレゼンソフトで授業してみて、1個だけ徹底的に重要ってポイントあるとして。

「スライドのデザイン性」かな、と思う。


・言葉少なめ
・色をちゃんとかっこいい色
・フォント
・選んでくる画像のセンス
・選んでくる動画のセンス
・冗長にならない説明:見た目でパッといけてるか
・押し付けがましくないか

作り方、説明の仕方、授業のデザインが対面式の時のmindsetで作ってると、動画授業になってもうまくいかないと思ってて。

audienceを楽しませる、っていう視点が欠けてる授業は動画だろうが、対面式だろうがダメなんだろうけど、動画で生徒に授業を届けるってのは、そういうことだから、そこだけは意識をシフトチェンジして、かっこいい動画を作った方がいい気がしています。

アート、エンタメ、美術、コメディに学ぶところは本当に大きくて、その部分を無視して進行しているICT関連の施策とか、動画配信とかは、最初はいいけど、生徒から見向きもされなくなると思う。

生徒は高度なアートのフォームを持つエンタメに囲まれて瞬間瞬間を生きているので、それ相応の物を持っていかないとrelevanceは生まれないと思う。

コロナ後の教育界の大変革が進行しているので、自分はこの視点を同胞にぜひ振り返って欲しいと願っている。

エデュテイメントという呼び方はあまり好きではないが、つまりはそういうことなんだと思う。

僕ら教員は、授業はするのが当たり前だから、生徒はそれを聞くのが当然だ、というパラダイムで授業をずっとしてきていると思う。

一方で、聞いている側の立場や感じ方に関しては野放しだったのではないか、と僕は思っていて、26歳くらいの頃から、さんまさん、紳助さん、たけしさん、タモリさん、果てはBBCのモンティパイソンのビデオを全部買って、どうして彼らは人を引きつけるのか、学校から帰って毎晩ウイスキーを飲みながらビデオを見て、メモを取っていたことがある。

結論として、僕らの立ち位置は話者目線で、オーディエンスのことを全く無視して、これは教育なんだからお前ら聴けattitudeを抜け出せていない、ということがわかった。それが26歳の冬。そこから、人を引き付けるものには、形態を問わずとにかく触れた。今流行っている物もしかり、何千年もの風雪に耐えた物もしかり。古典や古くからの芸術、哲学、宗教などを馬鹿にせずに丁寧に見てきたのは、この気づきに全て集約される。

「人を喜ばせる・楽しませる」ということについて。それは一体なんなのか、と。

動画配信やICT化がコロナ禍によって教育界で加速しているように見える。素晴らしいことだと思う。一方で、冒頭でも述べたが、今現在、我々教員が持っているパラダイムが変幻できなければ、子供たちにとってこの変化はメリットの薄いものになり得る、と僕は危惧している。

やればいいというものではない、というのが僕の考え。
子供がドキドキする、かっこいいもんを創っていきましょう、ということ。

教育的な効果があるんだったら、愚直でもいい、というご意見もあると思う。確かにそうだ。政治的にそれは正しいと思う。

翻って、子供たちは人生を生きている。教育は子供たちにとって、ドラマでなければならない、というのが僕の持論。涙あり、笑いあり、怒りも喜びも全てある、そして自分はここで過ごし生かされてきた、、、そんな感慨を残して生徒を卒業させることが、最も注力して重要なることなのではないか、僕はそう思う。

生徒の思い出に深く刻まれる活動こそが、生徒のその後の人生を大きく左右する。

国難にある現在、どんなに弱い人たち、どんなに苦しい人たちに対しても、寄り添い続ける成熟した市民を育てていくことこそが21世紀の教員に与えられた使命だと僕は確信して疑わない。

だからこそ、彼らの心によりインパクトのある教材や授業を提示しなければならない。

長くなった。締める。

デザイン、見た目、受け取られ方を甘く設計してはいけない。
子供たちには最高にかっこいいものを、一緒に届けていきましょう^^

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