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保健室経由、かねやま本館。

本の感想文です。出会えてよかった。

保健室経由、かねやま本館。

バイトで大失態をして、落ち込んだ気持ちで入ったカフェで読んだ。
児童書なんて久しぶりに読むし、大人になったわたしには、子供の目線で楽しく読めないかもしれない…なんてナメたことを考えながら本を開いた。そしたら、もう止まらなかった。気付く間も無く、主人公のチバの心の中から世界を見ていた。圧倒的没入感。久しぶりだった。
大人になるにつれて、本の世界に入る力が薄れていくように感じている。少なくとも私はそうだ。昔は読む本全て、一度ページをめくり出せば親や先生、友達に声をかけられても気づかないくらいにはどっぷりと本にのめり込むことができていたのに。気づけばあと何分読書できるかなんて、時計をチラチラ確認したり、展開が気になりすぎて途中を飛ばして結末の方から読んでしまったり。純粋な読み方というのができなくなった。そんなオトナな私でも、のめり込める物語が時々存在する。それこそが私にとっての名作であり、面白い!と感じる価値基準だ。
我を忘れるか否か。
この基準で言えば、本当にこの本は私を引っ張り込む力が強いと思う。
読み終えて、しばらくはぼうっと余韻に浸っていた。温泉から立ち上る湯気のように、水面から白く立ち上がって消えていく、そんな切ないような、暖かいような余韻だった。
それから時計を確認したら帰らなければならない時間だったので、大急ぎでカフェを出た。途端に、今日の仕事での失態や、その原因である私の体質の悩みがブワッと一気に押し寄せてきた。
ぽろり、と涙がこぼれた。ドラマみたいな、音もなく水が目からこぼれる涙だった。そこで初めて、「あ、私泣きたかったんだな。」と自身の気持ちを自覚することができた。そこからは人目も憚らず、ポロポロと涙をこぼしていた。泣いたところで何も変わらないのは知っているけれど、この本を読んだせいかもしれない。なんとなく気持ちがゆるんでいて、泣いてもいいような気がしたんだと思う。知らない合間に、私もかねやま本館で湯治をしていたみたいだ。きっとそうだな、効能は(見栄)とかじゃないだろうか。一丁前みたいな顔をしておいて、実はまだ私は子供だったんだなあと、ちょっと拗ねる幼い自分を見つけた。
溢れる涙をそのままに、地下鉄を待つ。その間私の頭の中は物語の感想、自分の小学生時代の記憶、今日のバイトでの失態の3つでごちゃごちゃしていた。だが、唐突に一つの欲求が脳内を支配する。
湯船に浸かりたい。
最近シャワーで済ませてばかりだ。ゆっくりお湯に浸かるなんて最後にしたのはいつなのか思い出せない。少なくとも一月以上前だと思う。
自己肯定感がだだ下がった卑屈な自分も、湯船に使ったら流れ落ちてくれるはず。小説に影響されすぎだと笑われそうだけれど、湯船に浸かったら私は明日も大丈夫、そう根拠のない自信が何処からか湧いて前向きになってきた。温泉と一緒だ、自信なんて何処から湧くかわからない。それっぽいところをつついてみなくちゃ、何にも始まらない。

今晩は美味しいものを食べて、湯船に浸かって、心までしっかり温めよう。そして明日にはまた元気に1日を始めるのだ。もう中学生じゃないけど大丈夫。だってかねやま本館は、成長した誰しもの心に宿っているのだから。
大人の見せ所だな、なんて、ガキっぽいセリフを呟いた。

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