『教養としての近現代美術史』

12月下旬頃発売予定です。

税抜1500円です。

本日は初めにを掲載します。

お時間ある方は読んでいただけますと幸いです。

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グローバル社会などといった慣用句を持ち出すまでもなく、日本のビジネスパーソンの活動

が世界の津々浦々に及んでいる事実に、今さら驚くような人もいないでしょう。加えて、彼ら
の仕事ぶりが、どこの現地でも一定の高い評価を受けてきたことにも。
にもかかわらず他方で、優秀な彼らが赴任先の現地でコミュニケーション・ギャップに悩ま
されている、という情報も頻繁に漏れ伝わってきます。彼らの身につけた卓越した語学力を思
えば、このギャップが言葉とは別次元のそれであるのは、火を見るより明らかというほかあり
ません。


聞けばそれは趣味や知的関心事など、相互の内的世界と密接にリンクした話題、なかでも、そ の一二を争うのが美術の話題なのだそうです。対して、日常的に疎遠な世界というせいで美術 の話題が出ると尻込みしたくなる―というのが、西洋の現場に飛び込んだ日本のビジネスパーソンの偽らざる思いのようです。


たしかに遙か太古の洞窟壁画以来、西洋の人々にとって美術は、まさしく自分たちの実存と
不可分一体のものとして存在し続けてきたといっても過言ではないでしょう。このように生活
に美術を必需としてきた西洋の人々と付き合う難しさを、だれよりも痛感せざるを得なかった
のは、まさしく西洋に赴いた日本のビジネスパーソンに相違ありませんでした。
とりわけ西洋の人々が、自分たちの生きる〈いま・ここ〉と密接に結びついているがゆえに、
歴史的な古典美術への敬意に劣らず近現代美術へも熱い関心を寄せてやまないのに対し、西洋
に赴いて彼らと日常的に接している日本のビジネスパーソンにとって―印象派やゴッホ、シュ
ルレアリスムといった例外もあるとはいえ―、西洋近現代美術の大半は、まだまだ縁遠い存在
であり続けているからです。

そこで筆者は、改めて日本のビジネスパーソンに少しでも力添えになればと、西洋近現代美
術の発祥地点にまで遡り、それが、どのようにダイナミックな生成と変化を繰り広げてきたか
を、たどる旅に出かけることとしました。
まず、その発祥地点をどこに定めるかについても、さまざまの所論があるのは承知の上です
が、筆者は何よりもその展開史が、西洋近代社会の成立や展開と不可分であったという事実さ
え伝わってくれれば、それで十分ではないかと思っています。

筆者にとってその出発点は、産業革命に伴う市民社会の成立を措いて他には考えられません。
というのも、イギリスに端を発した産業革命の波がヨーロッパ中枢のフランスへと波及してい
った経過と、そこにおいて西洋近代美術が成立した事実とがほぼ軌を一にしていたという事実
は無視できないからです。言うまでもなく産業革命は、旧来の血統に根拠づけられた王侯貴族
階級に代わって、資本家や労働者に代表される新たな市民階級の台頭や勢力的な伸長を促さず
にはいませんでした。この社会的な主役の交代劇は、現実を見つめる画家たちの視線や内的な
意識にも、相応の変容を促さずにはいなかったに相違ありません。あるいは絵具の劇的な改良、
あるいは写真術の発明とその目覚ましい発展、さらには鉄道の出現など社会の各方面に起きた
劇的ともいえる変化は、当時の画家にとっても想像を絶するような刺激や興奮を呼び覚ました
ことでしょうけれども。
かくして画家たちの描き出した世界も、半永久的とも思えるような時間の流れを感じさせて
きた前世紀までの画家たちの描いたそれとは、著しく趣の異なるものへと変質を遂げていきま
した。そのような意味を見返すならば、まさしく西洋近代美術は、やがて二十世紀の現代美術
が地殻を突き破って出現してくる事態をさえ、すでに予告していたような感慨を促さずにもい
ません。

取り急ぎはじめには以上です。

また、改めて記事掲載いたします。

よろしくお願い申し上げます。