『教養としての近現代美術史3』

本日で3回目の投稿となります。

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このように肉眼とは異なる精神の眼を介して、対象世界の見えざる本質に肉薄しよ うとしたロマン主義の思潮は、大きなうねりをなしながら、古典主義やロココ様式を生んだ美 術大国フランスへも怒涛をなして押し寄せたのです。
その十九世紀フランスにおいて、ロマン主義の先陣を切ったのがテオドール・ジェリコー (一七九一~一八二四)でした。自身を「爆発を宿命づけられた火山のごとき天才」と豪語した ように、ジェリコーは早くから有り余る天分を嘱望されながら、不運にも落馬事故による負傷 の果てに三十余年という短い生涯を余儀なくされた人でした。従ってジェリコーの作品は、当 然ながら数える程しか残存していません。にもかかわらず、そのうちの一点が、まさに西洋近 代美術史の劈頭を飾る不滅の金字塔と見なされている事実こそ、彼のまさに伝説的な画家たる ゆえんを物語ってやまないのです。その作品こそ、一八一六年に起きた現実の海難事故を題材 とした『メデューズ号の筏』(一八一九)にほかなりません。西アフリカの植民地に向かって航 海していたフランスの艦船メデューズ号がセネガル沖合で難破し、乗員乗客百四十九人はボー トや筏で脱出したものの、生存者はわずか十五人のみだったという悲劇でした。ジェリコーは 生存者への取材に基づいて、荒れ狂う海を筏で漂流する遭難者たちが救助船に向かって必死に 助けを求める情景を、雄弁かつ劇的な表現で見事に描き上げています。とりわけ遭難者たちが ひしめき合う小さな筏の前景を成す帆と、後景の荒れ狂う大波とを同じ三角形のフォルムで緊
密に関係づけ、スリリングな緊迫感を増幅させた絶妙無比の表現には息をのむしかありません。

ちなみに当時の政府が事故をひた隠しにしたという事実も加わって、この作品は当時のフランス社会全体を揺るがした一大スキャンダルの、いわば貴重な視覚資料ともなっているのです。 夭折したジェリコーを引き継ぐ形で、フランスのロマン主義を大成させたのが、画塾でジェリコーの後輩だったフェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(一七九八~ 一八六三)でした。

そもそも絵が好きだったにもかかわらず、両親を早くに失ったという家庭の事情もあって、ドラクロワは当時の画家志望者の定番となっていたイタリア留学はおろか、美術の専門教育を受ける機会すら持ち得なかった人でした。従って、毎日のようにルーヴル美術館 に通っては過去の巨匠たちの作品を模写することが、彼にとって絵画の腕を磨く唯一の手段だったのです。そのような画家の辛苦や孤独を癒し、かつ創造の炎を燃え上がらせた一つは、彼 がこよなく愛読したダンテやシェイクスピア、ゲーテといった西洋古今の文学世界であり、かつ 今一つは社会を戦乱に巻き込んだ不条理な現実を変革すべく立ち上がった民衆の姿でもあったに相違ありません。


たとえばバイロンの詩に霊感を得た『サルダナバナールの死』(一八二四) は前者の、ギリシャ独立戦争にかかわる悲劇を描いた『キオス島の虐殺』(一八二四)や、フランスの七月革命を主題化した『民衆を導く自由の女神』(一八三〇)は後者の代表作となります。


今回はここめでとなります。

また、続きは改めて掲載いたします。

本書『教養としての近現代美術史』は12月27日頃の発売となります❗️