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ベートーヴェンのミサ・ソレムニス

 永らくクレンペラーが名盤として君臨していた感があり、他バーンスタインやカラヤンらにそれなりの評価をという構図だったかと思います。モノラル時代の記録にはトスカニーニ、ブルーノ・ワルター、クレメンス・クラウス、シューリヒトらがありました。
 どの演奏を聴いてもこの曲の途方のなさ、得体の知れない人智を超えた感覚が拭えない。ましてクレンペラーのようにいかつい曲はよりいかつく、いかつくない曲でもそれなりに、の大家の演奏がチャンピオンとされてたのだから、みんな大変だったのだよ。
 「第九」はやっと馴染めたのに何すかこの曲は。ピアノソナタ32曲の後に「ディアベッリ」が来るように、また晩年の弦楽四重奏曲群が、次々と前曲を超えていくかのように産み出されて更なる高みに向かうように。捧げ物としてのフーガは、グロリアからクレド(見事にピアノで演奏していたディアベッリ変奏曲DVDでのアンデルジェフスキは必見)へ。祈りは、キリエからサンクトゥス、至高の序奏を経てのベネディクトゥスに至る。またアニュスデイの中間部、進軍ラッパに導かれ行進曲調に。そして祈りのことばが回帰しますが奇妙な明るさのうちに呆気なく終結します。
 ピリオド・アプローチの席巻とともにアーノンクールが1992年にヨーロッパ室内管弦楽団とライブ録音、キリエがとても遅いテンポ設定だったり、ナチュラルトランペットが流石の効果をみせたり部分的印象はあっても交響曲全集ほどにインパクトがなくあまり話題になりませんでした。晩年コンツェントスムジクスとのライブが遺産となりました(ソプラノ 16名 アルト 14名 テノール 12名 バス 14名)。
 1995年録音のヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団が最も歓迎されたようです。定評ある合唱(ソプラノ 13名 アルト 10名 テノール 11名 バス 10名)の美しさに適度な騒音感もある器楽で、全体としては穏やかな、バランス感が際立つ音楽だと感じます。比較するとアーノンクールという人は、表現主義的と言っていいような細部のこだわり表現が突出しようと失敗を恐れずに攻めてんだなあと実感します(アニュスデイの進軍ラッパ)。キリエ冒頭のテンポはヘレヴェッヘもアーノンクールと同じくらいゆったりですが、アーノンクールは休符が長めになってともすると弛緩した印象になる。ヘレヴェッヘの再録音ではやや早目に感じられたり細部の違いはあるものの旧盤同様の美点は変わらない。ヘレヴェッヘ盤でこの曲の近寄り難さは少しだけハードルが下がったかもしれません。
 本稿のきっかけは待ち望んだ二種類のディスクがリリースされたことです。まずはルネ・ヤーコプス指揮フライブルク・バロック管弦楽団。ウェーバーの「魔弾の射手」、ベートーヴェンは歌劇「レオノーレ」に続くもので並行してシューベルトの交響曲をビーロック管弦楽団
と取り組んでおりました。奏者の位置配置に関して、過去にはバッハ「マタイ受難曲」では2ndオーケストラと合唱を背部に置くという画期的で説得力のあるアイディアを実践していましたが、今回のアイディアは合唱を二分割してオーケストラの外側に挟むように配置(左にバス11名、ソプラノ15名、右にアルト11名、テノール10名)、独唱はオーケストラの奥で、いつもながらの優秀録音でくっきりと聞こえます。人声にオーケストラが包まれるような独自の響きで高次元で分離と融合が両立しています(個人の意見です)。
 明解で緩急もくっきり、くまどりがはっきりしたいつもながらの音楽。グロリアの最後合唱が残るところ叫ばずピュ・ピアノにする所は印象的。ゆっくりした部分のここぞってところで信じられないような沈潜した流れをヤーコプスは作り出す。例えばバッハ「クリスマス・オラトリオ」の第2部冒頭のシンフォニア、「ロ短調ミサ」グロリアのエト・イン・テラ・パックス。サンクトゥス、序奏からベネディクトゥスへの部分で期待通りに遺憾無く発揮されていると思います。

 もう一枚はジョルディ・サヴァール指揮ル・コンセール・デ・ナシオンです。コロナ禍を乗り越えたベートーヴェン交響曲全集、シューベルトやメンデルスゾーンの交響曲に続いての驚きのリリースでした。残響の多い会場で、騒音性も強い多彩な音色のオーケストラ、中でも「太鼓性」が強く楽器の一員として自己主張の強いティンパニ。合唱(各パートいずれも9名)も美しく、配置は通常よく観るオーケストラの背部、独唱はオーケストラの前指揮者の背後。
 演奏はもう文句なし、ソリストとしてのサヴァールさんの演奏同様ふくよかな呼吸感が強くテンポは中庸を得てると思いますが、おおーってところで凄まじい疾走があったり。交響曲全集ではメトロノーム遵守にこだわりがあったサヴァールなりの熟考で決めるべきところは決める感じ(個人の感想です)。

 ヤーコプスもサヴァールも曲を聴き通して、最後の呆気なさというのはほぼ解消されたと思いましたが、私の加齢ゆえの慣れというか麻痺でしょうかね? どの一つが良いなど選べませんね、クレンペラーも含め皆私には必要な演奏だなというありがちな感想でした。

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