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ルネ・ヤーコプスのドイツオペラ 3:カール・ハインリヒ・グラウン(1704-1759)「クレオパトラとチェーザレ」(1742)その1

 1740年フリードリヒ2世のプロイセン王即位に伴い宮廷楽長に就任したカール・ハインリヒ・グラウン、1742年王立ベルリン歌劇場(ウンター・デン・リンデン!)の柿落としで初演されたのが「クレオパトラとチェーザレ」。彼のオペラ作品は基本オペラ・セリア、つまりイタリア語台本の作品でした。ルネ・ヤーコプスのセレクションにバランスの良さを感じます。(ちなみにヘンデルの名作「エジプトのジューリオ・チェーザレ」は1724年のロンドン初演、グラウンも当然知悉してたでしょう、似たストーリーラインから猥雑になりそな所を除いた感じでしょか。同曲の1991年ルネ・ヤーコプス録音withコンチェルト・ケルンも名盤の誉れが高い。)「チェーザレとクレオパトラ」が正しいって記載もありましたが、ルネ・ヤーコプスのことなんで何か考えあっての事でしょうけど。
 1992年ウンター・デン・リンデンで250周年記念の蘇演に引き続き1995年コンチェルト・ケルンとの録音、全三幕。
 序曲は意外にもフランス風序曲でした。オペラ・セリアの定型はイタリア風の筈でしたが、テレマンオルフォイスでの下調べで、ドイツの特に宮廷ではフランス趣味が流行していたとの由、そういう事か。ちなみにヘンデルのチェーザレもフランス風序曲です。ちなみに×2フリードリヒ2世も台本に参加したというグラウンのオペラ「モンテズマ」ではシンフォニア、イタリア風序曲です。第一幕、クレオパトラと弟トレーメオ(プトレマイオス13世)の王位争いに揺れるエジプト、第一場対立するポンペイを追ってアレキサンドリアに上陸したチェーザレ(メゾソプラノ)を平和をもたらす者と歓迎する群衆の合唱。出迎えたトレーメオ(テノール)はポンペイの生首を歓迎の印と見せつけチェーザレの嫌悪を買う。トレーメオはアリア「この屈辱を座して待つことはしない...」で両者の対立が。一発目のアリアからカッコいい。…続く


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