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デュエット?

※ワーグナー「ワルキューレ」(1854-6)
※ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(1857-9)
※ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」(1893-1902)
マーラー「大地の歌」(1908)
バルトーク「青ひげ公の城」(1911)
アルヴェーン 交響曲第四番“海辺の岩礁から“(1913-9)
ツェムリンスキー「抒情交響曲」(1922)
ショスタコーヴィチ 交響曲第十四番(1969)

 マーラー「大地の歌」を始点に時代の前後を眺めてみて、上のような作品たちをとりあえず挙げてみる。何故か大地の歌だけ録音のないリッカルド・シャイーが指摘するヴェルディ(1813/10/10 - 1901/1/27)あるいはプッチーニ(1858/12/22 - 1924/11/29)のマーラー(1860/7/7 - 1911/5/18)への影響あるいは共通性だが…こと大地の歌に関してはピンとくる思いつきはないス。中国趣味といってもトゥーランドットはプッチーニ晩年の作で時系列がひっくり返るし。
 とりあえずのラインナップ中でも、実は大地の歌はやや異質に見えなくもない。この曲だけは男声女声ではなく男声2名での演奏も認められており、歌詞内容も恋の話がメインでない点、他曲のトーンとは異なってみえる。ただ後世へ決定的なインパクトがあったように感じるのは、二つの声が決して一緒に歌わないこと、つまり本質的にデュエットではないんです。カンタータの邦語訳は交声曲らしいですが、決して交わらない。
 すみません、実はアルヴェーンだけはデュエットしまくってますが。流石のハードボイルド、バルトークはデュの字もない。ツェムリンスキーも然り、ショスタコーヴィッチは終曲のみ、デュオというか「死」のみが万人に共通で「全能」と唄う。
 「愛の不可能性」、「コミュニケーションの不可能性」、ミケランジェロ・アントニオーニすね。


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