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シリアスな(?)プーランクその8 テネブレの七つの応唱

 1961年に完成されたオーケストラと高声ソロと児童を含む合唱からなる野心的作品です。プーランクは晩年まで常にチャレンジしていたのが実感される。改めて聴き直すと、メシアンを連想する瞬間も(第三曲冒頭など)。
 ニューヨークフィルの委嘱作品、この後1967年に武満徹のノヴェンバー・ステップスが同じく委嘱され作曲、初演されました。

 各曲の歌詞の意訳を試みます。
 第一曲、ゲッセマネの祈りあるいはオリーブ山の祈り、“一時間も見張っていられなかったのか、あなた方は私のために喜んで死ぬと言っていたのに、ユダが眠らずに私をユダヤ人に引き渡そうと急いでいるのを見ないのか。なぜ眠るのか、起きよ、あなた方は誘惑に陥らないよう、見張って、祈っていなさい。“
 第二曲、イスカリオテのユダ、“最悪の商人ユダは、主にキスで祝福しつつ近づいた。主は無垢な羊の様にそれを拒まなかった。少々の銀貨と引き換えに彼はキリストをユダヤ人に引き渡した。彼は生まれてこなかった方が彼にとっては幸いだったろうに。“
 第三曲、“不敬な一人の男が主祭司達や長老達のためイエス様に背いたが、ペテロは遠くからイエス様を追いかけて最後まで見届けた。そして彼らは大祭司カイファの所へ連れてゆき、書記官達とパリサイ人達も同席した。“
 第四曲、“私の両目は涙で曇る、私を慰めたかの人がこんなにも遠くなってしまったから。見よ、ああ汝ら、私に降りかかる悲しみほどの悲しみがあるのだろうか。ああ通りすがりの汝ら、私の悲しみほどの悲しみがあるのだろうか。“
 第五曲、“大地を暗闇が覆った、ユダヤ人達がイエス様を十字架にかけたから。そしておおよそ九時間イエス様は大きな声で叫ばれた、我が神よ、何故私を見捨てるのですかと。そして頭を垂れ、動かなくなった。イエス様は大きな声で叫ばれた、父よ、私の魂をあなたの手に委ねます。“
 第六曲、”主が埋葬された時、墓の入り口を封印し、石を転がしてふさいだ。そして兵達を護衛に配した。主祭司達はピラテの元に向かい、嘆願した。“
 第七曲、“見よ、義(ただ)しき人が死にゆく様を、だがこれを心から受けとめる者は誰もいない。義しき者らの命は取り去られるが、これを気にとめる者は誰もいない。悪しき者の面前から義しき人の命は奪い去られた。されどこの方の想い出は安らかなものとなろう。彼は毛刈職人を前にした羊の様に従順でした、そして口を開かなかった。苦痛と裁きから解放されたのです。

 以上テネブレの応唱の歌詞抜粋でいわば受難曲を模した構成になっている訳です。
 プーランクの希望通り高音域を児童合唱やボーイソプラノに任せたプレートルの録音は彼特有の荒っぽさ、良く言えば勢いの良さが目立つもののやはり聴き物です。合唱の混濁は児童合唱だけのせいではないと思いますが。Daniel Reussの新盤は合唱の良さが嬉しいですが、ボーイソプラノの魅力は代え難いかなあと確かに実感しました。

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