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アルベリック・マニャール 「ベレニス」、三幕からなる音楽悲劇 Op.19 その5

 マニャールの奥様の写真です。
 …承前、第三幕第三場、ティテュスはこの期に及んでローマに戻って妃になって欲しいと言いだすがベレニスの方が現状認識は冷静でローマに憎悪と流血をもたらす訳にはいかないと断るが、繰り返し乞うティテュスにああもう遅いのですと。するとティテュス、それならば私がベレニスについて行くと。美しい夢想ですが、女王クレオパトラはそれで恋人を死に追いやりました。運命を受け入れなさい。私たちは別れなければならないのです。いつまでも女々しいティテュスに対しきっぱりしたベレニス、愛の場面の回想ののちさらばとティテュスがやっと立ち去る。第四場、リアに彼の姿を見たいので幕を外してと命じ出航の合図をする。第五場、夜、船乗り達の合唱は暗く響き三度反復されるその合間にティテュスから遠ざかって行く嘆きをベレニスが歌う。第六場大詰め、ヴィーナスへの約束通り金の鋏で髪を切る。過去の幸せな日々を思い返す一瞬長調で輝くが深く沈んでゆく。髪を海に投じて己の若さに別れを告げる。結尾の弦楽器のアルペジオは前奏曲冒頭の変奏でしょうか。(終)

 船の上と言えばトリスタンとイゾルデですがそのエコーは感じられない。それよりはパルジファル〜ペレアスでしょうね。毅然とした悲劇という事ではパドマヴァーティも思い出す。ドレフュス事件以来のユダヤとローマ=フランスの関係性、社会的な貢献や倫理と個人的な恋愛や心情の両立の難しさがテーマと解されてるようですが…結局のところゲルクール同様現在のところ理想の実現は難しいというペシミズムも。理想主義と裏腹。美の女神ヴィーナスへの言及が多いのも特徴的、作品17のオーケストラ曲「ヴィーナスへの賛歌」ってのもありました。
 ミシェル・プラッソンのパドマヴァーティ、ゲルクールでの、あるいはアルミン・ジョルダンのアルテュス王やアリアーヌと青髭での達成に匹敵する様な演奏記録が欲しいです。今のままでは寂しすぎる。

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