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アルベリック・マニャール「ゲルクール」、三幕五景からなる音楽悲劇 Op.12 その2

 1912年二月発行の音楽雑誌掲載、ナンシー音楽院でのマニャールとイザイ、ロパルツですね。

 …承前、第一幕第五場の続き、真実はんがこの騒がしい嘆きは何事どすと問い、ゲルクールが“母よ、お許しを、私しめはも一度生きたいのです”と。美はんが“お母様、彼は私を愛しておりましたのでお許しを”、善はんも“お母様、彼は私にも忠実でしたのでお許しを”、二人揃って“お赦し下され”…ゲルクール曰く、暴君から民衆を救う理想に燃えてそれを成し遂げ、運命の伴侶ジゼルと出会い結ばれ、理想のバディのウルタルととーもーにー、さあこれからというときに若くして命を落としてしまった。真実はん答えて愛され敬われ若くして世を去るなんて最上の運命でしょと。ゲルクール、ジゼルは私の今際の際に永遠の愛を誓ってくれたし(イヤな予感)、民もウルタルも云々かんぬん、例え一日だけでも良いから。善はん美はんこぞって援護射撃もむくっと立ち上がった苦悩しゃん、この者を罰せよ、自尊心故我が理を解せぬ者は生に戻して思い知らせればいい(ここの音楽は交響的導入冒頭の再現、苦悩のライトモチーフである事が理解される)。合唱もこれに乗っかってくるんで真実はん、天国に馴染めず偽りの幸福を望むというならかなえてやろうと。地上ではお前が世を去って二年経ているぞ。第六場、真実はんゲルクールの肉体を再生し彼は去っていく。第七場真実はん天国の落ち着きを取り戻させ第八場冒頭の雰囲気に戻る。上行する印象的なメロディが真実はんのライトモチーフでしょう。
 何て話ぢゃ。こんなオペラあり?  この後第二幕第一景 幻影、第二景 恋人達、第三景 民衆、第三幕 希望と続く。
 主人公が死して天国に行くがまた復活して地上に戻るストーリーの先駆は、実は私が冷たくあしらってしまったマスネ「ラオールの王」。こちらは異教的な荒唐無稽と片付けて良さそうですが、「ゲルクール」はその寓話的外観からしても質が違う。バニヤンの「天路歴程」も思い出す。
 まだまだ先は長い。...続く


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