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ジョルジェ・エネスク(1881/8/19 - 1955/5/4) OEdipe(エディプス王)(1936)四幕6場からなる抒情悲劇(tragédie lyrique)

 規格外の巨人が残した怪物級の作品。幼少時にルーマニア国王から贈られたバッハのカンタータ全集を暗譜していたとかヴァイオリン演奏や指揮の録音記録も含め全て伝説の域に達した存在ですが、作曲作品については焦点が定まりにくいのでは。一番ポピュラーなルーマニア狂詩曲と、後年のヴァイオリン独奏曲(ソナタ第三番や「幼時の印象」)のギャップの激しさ、四分音も用いられいまだに得体のしれない曲と感じさせる。正直言ってしまうとどっちの作品も共通していつ終わるんだろと聴いていて思っちまうんだが意味合いがだいぶ違って、初期のはチャルダーシュみたいな煽りが繰り返される少々俗っぽい作りにちょいと飽きて、それに対し後年作品は語法が斬新すぎて自分がどこにいるか分からなくなってしまう感じ。
 作曲の経過は大変に長く1910年頃からスケッチ開始、台本の初稿を受け取ったのは1913年、1922年に音楽は完成し1924〜5年頃一部をコンサートで披露した。オーケストレーションを1931年に完成も手を入れ続け、1936年にパリ・オペラ座で初演され大成功を収めながら大戦を挟んで不当に忘れられていました。1989年のモンテカルロでのローレンス・フォスター指揮そうそうたる歌手陣での録音が評判を呼び、現在はあちこちで上演されている状況です。
第一幕 前奏曲は50小節弱ながら濃密で複雑、ト短調で冒頭「運命」のモチーフがコントラファゴットで這い回る。まもなく「親殺し」「人間の勝利」「ジョカスト」「スフィンクス」、そしてフルートの“ドイナ”の形式で「羊飼い」のモチーフが続く。

 幕が開くとテーべの王宮、雰囲気は一変しエディプスの誕生を祝う古代ギリシア風の祝祭場面(師であるフォーレ「ペネローペ」を思い出す)。女性、戦士の男性、羊飼い達の田園風(ピッコロでルーマニアの“フルイエ”を思わせる)と続き、大オーケストラの踊りへ。

 最後はティレジアスの憂鬱な予言となってそれが冒頭の前奏曲とシンメトリーをなし幕が降りるとともに暗く低音へ消えてゆく。
第二幕 20年後
 第一場 コリントの王宮、支配する陰鬱な曲調とオフからの合唱が対照をみせながら「親殺し」のモチーフも忍ばせている。育ての両親を守ろうとエディプスは一人コリントを離れる。暗い間奏曲を経て
 第二場 三叉路の場面、嵐の予感の元、赤ん坊だったエディプスの命を救った羊飼いのフルートが奏する“ドイナ”が彩り、羊飼いは道の守りヘカテの像に祈りを捧げる。エディプスが登場、サンダーマシーンをきっかけに神への呪いを口にする。正当防衛なのだが実の父を殺めてしまう場面はウインドマシーンが。全てを羊飼いが目撃していた。ゆっくりした暗い束の間の休息。間奏曲は次のスフィンクスの場面に繋がる悪夢のようなハーモニー。
 第三場 テーべ郊外、見張りの歌に続いてエディプスの祈り、初めて四分音が使われます。女声のスフィンクスが目醒めると音楽は妖しさを増し、その問いへのエディプスの答え「人間は運命よりも強い!」の言葉が全音階的なスフィンクスをあたかも射抜く。スフィンクス末期の高音をミュージック・ソー(ノコギリ)が引き継ぐ。昇天というより足側からだんだんと消えていった?

その後は人々が祝う音楽が湧き上がり全てを飲み込んで行くが、終結寸前ジョカスタとエディプスが対面する一瞬だけ声を潜め、羊飼いの“ドイナ”の調べが回想される。
第三幕 更に20年後
 最初の四小節のホ短調に移調した「運命」のモチーフに導かれ五拍子で疫病に苦しむテーベの人々の嘆きが歌われ。そのまま悲劇は呵責なく進行してゆき、エディプスに真実が襲いかかる。1963年のブカレスト・オペラのパリ客演公演ではその瞬間にオーケストラで銃声を鳴らしたとか。自ら視力を捨てたエディプスは「シュプレッヒゲザング」に。付き添う娘アンティゴネーが音楽に色彩を取り戻す。
第四幕 数年後 アテネ近郊コロノスの花畑
  9/8拍子の前奏曲は「ペネロープ」や、エピローグとしての「パルジファル」第三幕などを想い起こさせる。このような厳かな祈りの声や穏やかなハーモニーはこれまで聴かれなかった。亡きジョカスタの弟が現れ平和を破り、エディプスと口論を始めて音楽にあの悲劇の記憶を蘇らせる。しかし再び前半の穏やかさを取り戻りした後次第に高揚を続け眩いト長調にてエディプスの魂が救われます。

 ブルガリアの民族音楽に根ざした語法でギリシャ悲劇の代表作に直面したまだまだ咀嚼仕切れないとんでもないオペラなので息切れ激しく今日はこれにてご容赦。

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