かくて駒はコマとなる トウショウサミット

この前、シンデレラグレイの5巻が発売された。
本誌で見逃してしまっていたのだが、単行本となって何度も読み返していると、一人の大変魅力的なウマ娘の存在に気づいてしまった。
その名もトップシュンベツ。オグリとタマの名勝負、秋の天皇賞の舞台にて逃げ宣言をしながら大きく出遅れて赤面、あまつさえ一杯になり「ひーん!」と後退。主役が領域展開し突き放す熱い場面の裏で、なんともコミカルな清涼剤となってくれた。

このモデル馬は「トウショウサミット」

主な勝ち鞍はダービートライアルのNHK杯で、それも6番人気からの勝利であり、本番のダービーでは18着、この戦績はとても主役とはいえるものではなく、せいぜい脇役をはるのが精いっぱいという感じで、実際そのような立ち位置だ。

ここで考えてしまった。
トップシュンベツちゃんはべらぼーに可愛いし、このトウショウサミットで一つ文章を書けないものか、と。
そうして来歴を検索しても、当然語られるようなエピソードは少ないし、列伝なんてあるわけもない。

ただ、どんな馬にも物語はある。
こうして単なる思い付きから、トウショウサミットという馬を取り巻く物語を書き始めてみたいと思う。


いきなり結論からいえば、果たして脇役であった。


トウショウという名を今出すとなると、出てくるのはおそらく2頭、元祖時代の代名詞TTGの一角トウショウボーイ、ウマ娘からなら池添の愛馬スイープトウショウになりそうである。
次いで出てくるなら桜花賞馬シスタートウショウ、ついで尾花栗毛のハンサムホース、トウショウファルコあたりになるだろうか。

「トウショウ」を冠とするトウショウ牧場は前にも書いたメジロ牧場と同じくこの時代を支えた名牧場の一つではあるが、2015年9月に経営不振から閉鎖、スウィープトウショウもノーザンファームに引き取られ、今はその物語を継ぐ者はいない。

不振の原因はトウショウボーイを産んだ輸入繁殖牝馬ソシアルバターフライの血統に固執したこととも言われ、スウィープトウショウはその血統を踏まえず(とはいえ母母父はトウショウボーイである)、育成環境を見直した結果産まれた名牝であるが、図らずもこれがトウショウ牧場の最後のひと花となってしまった。

トウショウ牧場の代表産駒であるトウショウボーイ、シラオキ系とトウショウボーイから産まれたシスタートウショウ、そして末期のじゃじゃ馬娘スウィープトウショウといったなか、トウショウサミットはこの中でも脇役としか言えない立ち位置である。

シンデレラグレイで最強の愛嬌を振りまいた天皇賞秋が引退レースとなるのだが、オグリが古馬どもを大外から差し切った毎日王冠(9着)や、ヤエノムテキが菊花賞へのステップとしたUHB杯(4着)や、サッカーボーイことディクタストライカさんがふざけんな!とダービー馬を2頭ぶった切ってレコード勝ちした函館記念(3着)にもしれっと出演しており、このラスト4戦に関してはシンデレラグレイ出演陣への叩き台そのものになってしまっているのが何とも哀愁を感じてしまう。

トウショウサミットはトウショウボーイを産んだソシアルバターフライの娘にして1975年のオークス2着のソシアルトウショウから産まれており、同牝馬からはエイティトウショウ(牝馬・中山記念他)トウショウペガサス(中山記念他)トウショウマリオ(京成杯他)と重賞勝ち馬が多く生まれており、その仔たちの中でも戦績としては3~4番手にあたる。

トウショウ牧場の方針からか引退後にも種牡馬や繁殖牝馬となった彼ら兄妹の中で、最も成功したのがトウショウペガサスである。
1992年の阪神牝馬三歳Sのスエヒロジョウオー、1998年の中山金杯とフェブラリーSを連破した二刀流グルメフロンティアを輩出しており、牝馬エイティトウショウからは早熟の短距離重賞3勝のマザートウショウが産まれている。一方、トウショウマリオやトウショウサミットからは重賞勝ち馬は産まれなかった。

父親のSancy(サンシー)は輸入軽種牡馬としてサミットを含む活躍馬を何頭か輩出したが、その中でも一番の大物が1980年に桜花賞・エリザベス女王杯を制したハギノトップレディであり、このハギノトップレディからオグリたちの次の世代、ウマ娘としておなじみのダイタクヘリオスとのレースで話題を作る名牝ダイイチルビーが産まれる。

母の父としては大きな成績が少ないが、ダイイチルビーとともにもう1頭あげられるのがツインターボというのが面白い。
ヘリオスがルビーと因縁を持った原因は、サミットの父でもあるSancyなのではないだろうか。

とにもかくにも、Sancy産駒としても何となくサミットはインパクトが少ない。

こうしてみると、トウショウサミットにはどこにも主人公要素がない。
もちろん競走馬の99%がサミットにも及ばないほどの戦績で忘れ去られていく現実を知ったうえでいうのだが、特筆したいと思う要素が、魅力が、今現在確認できる情報やレース映像からでは全く感じられない。
トップシュンベツちゃんは妄想の中でこそ輝くのであろうか。

シリウスシンボリの日本ダービーの陰で、18着に沈んでいたトップシュンベツ、トウショウサミットの背中には、末期癌にむしばまれたジョッキーがいた。

名を中島啓之という。

トウショウ牧場の藤田氏と同郷であるという縁からトウショウの馬に数多く乗ることになった彼は、日本競馬史上初めて父子二代のダービージョッキーとなった騎手である。彼は人柄からして多くの仲間から慕われていたようで、かのトウショウボーイでの有馬記念騎乗を打診されたとき、他の場で騎乗の約束があるからと断ったというエピソードからも、その義理を重んじる心情が感じられる。

トウショウサミットでNHK杯を勝った際にはすでに病気は重度に進行しており、病気を隠し騎乗を続け、ダービー前のオークスでもナカミアンゼリカで2着と奮闘、ダービー同週に末期癌を宣告されるものの、ダービー騎乗を懇願し、医師もそれを許可した。

その16日後に他界することとなった同騎手の葬儀では、後輩の小島太や競馬関係者の多くが涙したという。

父がダービーを勝った時産まれておらず、息子である彼が勝った時には父はすでに他界していたという。
中島騎手がどのような気持ちで最後の鞍上に在ったのかは知る由もないが、その結果は順位でのみ語られるものでは決してない。

正直に言えば、私はその年代の人間ではないので、トウショウサミットも、中島騎手のことも記憶にすらなく、こうして調べてみようと思わなければ、生涯知ることはなかった来歴なのかもしれない。
彼のことを知ったからこそ、トップシュンベツの可愛さをダシにして書いてみたいと思ったのだ。

トウショウサミットは強くない。

競馬を一つの歴史で語り、本に例えるとするなら、その1ページを埋めることすらできないと思う。
シンデレラグレイというその競馬界の一時代を描いた漫画の、そこの1ページですらなく、ほんの数コマをにぎわした存在でしかない。
けれどその数コマは空白ではなく、確かにかの馬はそこにいた。その背には彼がいた。欠かすことのできない駒である。

知るきっかけはウマ娘でも、かわいい女の子でもいい。

騎手中島啓之が騎手を志したきっかけは、幼少期に草競馬で巧みに馬を御する女の子を見たからだという。


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