福永祐一ジョッキーの引退

パンサラッサの劇的な逃げ切りで深夜の日本が歓喜に包まれた同日、
福永祐一ジョッキーは最後の騎乗を終えた。

福永祐一ジョッキーがデビューした時、かなり近い年代の自分は彼の来歴を
聞いて「きっと苦労するだろうな」と同情した記憶がある。
「天才ジョッキーの2世」という肩書は、きっと彼に重くのしかかるだろう、それを疎ましく思ったりすることもあるんじゃないか、そんな風に言われ続ける彼はかわいそうだなあ、と。

言っちゃなんだが私の父はとてもいい人だったが、偉大な人ではない。
偉大な父を持つ息子の気持ちはわかるべくもないが、もし自分だったらそう思うのではないか、そういう自身の感覚を、彼に勝手に押し付けていた。

福永祐一ジョッキーを語るにあたって、どうしても避けて通れないのがかのキングヘイローでの日本ダービーで騎乗だろう。自身でも「真っ白になってしまった」と語る大失態。父が獲れなかった日本ダービーという大舞台で、乗る馬は歴史的名牡馬と歴史的名牝の仔。結果を出さなければならない、結果が出て当然である、とまで思われる重圧。鞍上とその馬はとても似ていたのかもしれない。

その後、エピファネイアでダービー2着に終わった際には「自分のせいで負けた」「こういう馬を勝たせられないなら、自分が続ける意味なんてないんじゃないか」とまでの悔いを語っている。

父のような天才性が自身にはない、ということを痛感しながらも、ひとつひとつ積み重ねるようにして騎手としての実力をつけていき、それに伴う栄誉の数々。このころから、福永祐一はすでに福永祐一であり、偉大なる父の息子という在り方ではないように感じていた。

その後そのエピファネイアで菊花賞を勝ち、はじめての牡クラシック制覇、親子制覇を成し遂げるころには、もうすでに福永祐一を「洋一の息子」として語る人は周りにはあまりいなかった。福永洋一氏の天才性を知る人は少なくなってきており、ただその息子の積み上げる実績を彩る美談の一つとして扱われだしていたように感じる。

結果としてみれば、その後福永祐一はコントレイルで無敗の3冠馬のジョッキーとなり、同馬の菊花賞の際には「こういう状況の自分はどうなるのか興味深かった」「キングヘイローの時から自分はずいぶん変わったんだな」と語っており、もうすでに時代を作る名ジョッキーの一人としての彼を疑う人などいなくなっていた。

どこかのインタビューで、福永祐一は「自分はずっと洋一の息子でいい」と語っていたというのを聞いたとき、私はすでに他界した父を思い出した。
私はどこまで行っても父の息子なのではないか、私という存在において、父が消えることなどないのではないか。父が偉大な人であれ、平凡な人であれ、または褒められたような人ではなかったとしても。

そのうえで、自身としての在り方を生涯において創り上げた時、きっと彼のような、継ぐものとしての責務を果たせるのではないか。それは、とても美しい在り方なのではないかと、漠然とそう思った。

キングヘイローの直系は絶望的に途絶え、名馬ダンシングブレーヴの直系もまたほとんど残っていない。福永騎手は引退後調教師になるとのことだが、彼の息子が騎手になるのかどうかは、まだわからない。

けれどこの先がどうなろうと、名馬ダンシングブレーヴとキングヘイローの物語は誰かがきっと語り継ぐように、福永洋一の名前とその息子、福永祐一の名前も忘れられることはない。

彼らは、確かに歴史にその名を刻みつけた。
競馬界というスポットの当たる世界に生きない、平凡な人生を生きる自分たちにとっても、私たちが果たすべき責務はどこかにあるのではないか。
年若いころ、福永祐一に無責任に同情を投げつけた自分に教えてあげたい。

それが、生きるということなのだと。



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