老荘思想から学ぶ生き方

老荘思想というのは紀元前3か4世紀ごろの春秋戦国時代の中国の思想家、「老子」と「荘子」の考え方です。

老子の作者である老耼という人物がいたかどうかは不明だそうです。歴史書の記述にある成立と「老子」の記述に食い違いがあり、そんな人いねーよバーカっていうのが今の学説だそうです。

その思想は無為自然を説いていて、
無欲になることで幸せになれると言っています。

同時代の孔子率いる儒家に対抗する勢力として生まれたとされています。(個人的に論語と言っていることは同じだと思いますが)

好きな言葉を引用すると
「常に無欲にして以て其の妙を観、常に有欲にして以て其の徼を観る」
個人的意訳)無欲でいれば世界のあらゆることに気づき、有欲でいれば俗世界のいざこざを見る。

「老荘思想」についてインターネットで調べるとそれなりのまとめサイトが出てきますが、一番早く思想を理解したいのであれば、「老荘入門!」みたいな本を読むことをお勧めします。

中国思想はテキストで完全に理解できるものではなく、当時の時代背景等を考慮する必要があり、
論語等は「君子 ⇒ ○○」といったものが多いのですが、
「○○ ⇒ 君子」が成り立つわけではないので、論語を読めば君子が何たるかを理解したと言えません。

また、老壮や孔子の言葉を難しそうに考えている言説ですと、宇宙?形而上学?といったよくわからない言葉が飛び交っていますが、それは哲学を超えて単なる難しい言葉を使う言葉遊びであってまったくもって本質をとらえていません。

このような思想は言葉で表すことができないので伝えるのが難しいです。

さて、とてつもなく長い前置きはこれまでにして本編を見ていきましょう。

お前はお前の人生の目的を忘れていないか?

老荘思想は仏教に近い、悟りの境地を目指す。
「無欲」と言うと修行僧みたいな苦しい生活をしないといけなくて、この世はすべて無なんだ、という悲しいニヒリズムのような気がしますが、そういうわけではありません。

「無欲」とは、世の中のつまらないものにとらわれず常に自分のしたい道を見続けるということです。つまらないものとは、例えば学歴、高収入、企業、いい人と思われたい、友達を多く持ちたい。とかなんとなく良いこととされていることです。しかしそれに絶対的な価値があると言い切れますか?

物質的、社会的な豊かさは無かったら困りますが、たくさんあるから幸せと言うことではないです。人間の生きる意味は自己の幸せを追求するところにある。だからそういう社会的なステータスはある程度満たして満足して、自分の人生の目的である自分の幸福を追い求めなければならない。

具体的には自分の夢を叶えましょう。アーティストになりましょう。何か創作しましょう。好きなことをしましょう。

俗社会の提示する価値観に惑わされていないか?
自分の生きる意味を忘れていないか?

無為自然、それは単なるニヒリズムではなく自分のありのままの生き方を目指すことであると思います。

以上「老荘思想」から非常に逸脱していますが、個人的に「老荘思想」の本質を取り出した「老荘思想から学ぶ生き方」でした。

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