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R.M.G 「マンドローネ研究」れぽーと

マンドローネアドベントの皆さんこんばんは。クリスマスイブまであと19日ですね。もうプレゼントは用意されましたか? my如意棒にピンクのリボンを結んで、というのもおしゃれですね。

という訳ではじめまして。わたくしはマンドリンオーケストラ・コンコルディアで指揮をしています横澤と申します。今でこそマンドローネは常設パートですが、25年位前は神戸大のボロボロだったヴィナッチャを修理して使ったり、十文字高校の工藤先生にお願いして借りたりして苦労しました。

それはさておき、わたくしが紹介いたしますのは日本最古かつ唯一のマンドローネについての雑誌の連載記事であります。ではどぞ。

1.時は1927年

武井守成が「マンドリンギター研究」を発刊していた頃、「マンドリン・ギター評論(Revue Musicale des Mandoline et Guitares)という雑誌が東京で創刊されました。同人筆頭は内木清次で、その他の執筆陣には田中常彦、宮田政夫、菅沼定省ら慶応義塾マンドリンクラブ出身の歴々の名前が並んでいます。

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内木清次は大正11年(1922)に慶応義塾に入学してマンドリンクラブに入部しましたが、同時期、同級生の小池正夫とともに東京プレクトラムソサエティの創立メンバーとなっていました。
 (ちなみにこの頃慶応義塾の山岳部にいた鈴木静一は声楽を志し、アドルフォ・サルコリの門を叩きましたが「君は声楽よりマンドリンがよかろう」と言われ、同じく東京プレクトラムソサエティの創立メンバーとなっています)
なお、大正12年(1923)には有名なOST主催のコンコルソが開催され同志社が1位、慶応が2位となった、そんな時代の話です。*KMC百年史余話(前編)

2.多分マンドローネがまだ謎の楽器だった頃

そんなメンバーが1927年に創刊したのがこの雑誌。一番年上の田中常彦が1890年生まれですから皆さん若く向上心も自信もある血気盛んなメンバーだったと思われます。そんなやる気満々のメンバー達にまじって、なんと創刊号から4回にわたって「マンドローネ研究」という文章をかっとばしてた鈴木眞正なる人物がいます。この人の事は調べても詳細がわからなかったのですが、かの齋藤秀雄率いるオーケストラ・エトワールのローネ弾きだったようです。鈴木は1928年には発行元のR.M.G社の社員として刊行に携わった事が第14号に記載されています。

という訳でわたくしの知る限りでは日本最古?のマンドローネに関する連載をお楽しみください。

如何だったでしょうか?現代のローネ弾きの方々には当たり前の話が並んでいるようにも見えますが、
・低調マンドローネは1922年ごろジェラが最初に作った。キタローネのように立奏で弾くフラットバックの単弦楽器→これってジェラのマンドバスの事ですよね
・カミルロ・ボーのマンドローネ教則本
・マンドローネが本邦に最初にもたらされたのは1923年の春
なんていう知ってたからと言って、上手く弾けるようになる訳でもないけど、たぶんあまり知られてない話や
・日本にもたらされた頃は如意棒を取り払ってネックから下部に紐をくくりつけて弾いていた
等と驚きの話もあったり。
きちんと長所と短所を冷静にまとめてあって、最後にはこんな愛情に満ちた言葉で結ばれます。
「斯く研究して来るとマンドローネが低音楽器中効果において、価値において最も優れている事は明瞭である。夫故に私は若し一合奏団があって、始めて一つの低音楽器を加へる時にはマンドローネを推薦する次第である。中略 最後には私は比の効果あるマンドローネの一刻も早くマンドロンチェロと同様に一般に使用されん事を希望する次第である。」 

3.備考

「マンドリン・ギター評論(Revue Musicale des Mandoline et Guitares)」は同志社大学の中野譜庫、明治学院大学の日本近代音楽館、慶応大学の三田メディアセンターの三カ所に所蔵されていますが、「マンドローネ研究」が掲載された第一号から第四号は前二者にしかありません。
(ちなみに目次は貴重資料の宝庫になっていく事が期待されるDigital Guitar Archiveさんでも見る事が出来ます)
なお本項は公表後92年が経過していますが、執筆者の没年が判明せず、予告なく公開をとりやめる場合がある事をご承知ください。

4.おしまいに

ところでS.M.Dではじめてマンドローネが編成に組み込まれたのは同校の100年史によれば1925年の第6回私演会だったようです。というわけで2025年にはローネ100周年でローネ100本ていうのをぜひやってほしいですね。


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