
ふぐのてっさを3皿食べて、30歳の私は大人になる
12月27日生まれなのだけど、2022年12月26日にぶっ倒れて高熱にうなされながら30歳になった。
年末年始の帰省の予定もおじゃんになって、なんてこったい。最悪だ。
友達や家族が誕生日のお祝いメッセージをくれて、その全部に「熱出して死んでるし帰省できなくなった」と伝えたら、いろんな人が出前館のLINEギフトを送ってくれた。ありがとう。おかげさまで生きています。
・・・
2022年はいろんなことがあった。多分人生で一番波瀾万丈な年だった。
そんな話をしていると、わたしのぶっちゃけ話が呼水になるのか、いろんな人がいつもよりちょっと深く打ち明け話を聞かせてくれた。
幸せ脳汁100%生しぼりみたいに見える人でも、いろいろ抱えていたり、悩んでいたりする。反対に「このひと生きづらいだろうな…」と思いながら見ていた人が、意外に軽やかに暮らしていたりもする。
多分、頭の先から爪先まで幸せな人なんていないし、反対に全身で不幸な人もいないんだと思った。みんな、どこか幸せで、どこか不幸せなんだ。それに気づいて、これが而立の年か、と思うなどした年末だった。
話は変わるけど、もらった出前館クーポンは、分割で利用できないらしい。
三千円分のクーポンは三千円以上の注文が割引になり、五千円分のクーポンは五千円以上の注文が割引になる。千円の注文×5回、みたいな使い方はできない。理不尽だ。
そんなわけで、ズビズビの風邪っぴきなのに、食卓だけやたらと豪華になった。



ちなみに、わたしはふぐ料理の中で、てっさが一番好きだ。でも、たいていふぐを食べるときはコースなので、てっさでお腹いっぱいになることはない。常々、もっとてっさ食べたいなあーって思っていた。
調べたら、配達圏内にふぐ屋、ありました。さすが出前館。
普段は圧倒的にUber派ですがね。
ということで、てっさを3皿と、ふぐの唐揚げを注文してみた。

三人のフグパーティだと思った?残念だったね!
ひと皿食べ終わったときは幸せだった。まだふた皿ある。
なんて豊かな気持ちだろうと思った。
でも、ふた皿目を1/3ほど食べたところで、「なんかもういいかも」って思いはじめた。
3皿目に突入した時には、「もういらないし、唐揚げ頼んどいて本当によかったし、もう唐揚げだけ食べたい」と思った。
足るを知る、という言葉がある。「コップ半分の水を見て、まだ半分あると思うかもう半分しかないと思うか」「今目の前にある幸せに満足しろ」みたいな精神論っぽい言葉だけど、これ、ずっと釈然としていない。
一度もお腹が一杯になったことがない子どもの前にごちそうを並べて「腹八分目まで食べなさい」と言っても、そんなの出来っこないじゃない。おなかいっぱいはちきれマンボ!っていう経験があるから、腹八分目でごちそうさまできるんじゃないですか? 持てる者の傲慢じゃないんですか? 持たざる者に未来はないんですか? と思っている。
何が言いたいかというと、てっさを3皿食べて初めて、わたしはふぐの足るを知ったのだ。もう、ふぐのコースで「てっさ少ね!!」って思わない。
これってめっちゃ大人だ。てっさへの態度も自然に堂々とする。「ん? ……ああ、来たの」くらいのきもち。
てっさ3皿食べる前の自分より、間違いなく豊かで幸せな人生を歩めるようになった。なるほど、災難だと思った年末年始のダウンも、人生全体で見るとむしろプラスなのかもしれない。
みんな、どこか幸せで、どこか不幸せ。ならせめて、わたしはみんなをちょっとだけ笑わせる、いい人間になりたいな。今度友達の誕生日には、出前館のクーポン送ってあげよう。
そんなふうに思えた、2023年の幕開けだった。
(ちなみにわたしの誕生祝いのクーポンも、誕生日の前後半年間、絶賛受付中です。)
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