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3月の終わりに

ふと気がつくと、3月も終わりに近づいている。この季節はよく言われるように出会いと別れの季節。そして終わりと始まりの季節でもある。つい先日、一年間のインターンも終わりを告げた。正直まだ消化できていない感もあるが、とりあえず文字にしてみる。

前置きになるが、僕の両親は小学校教員だ。地元では教員の子どもが教員の道を進むことが多いように感じるが、僕は小さい頃から親と同じ教員としての道は歩みたくないと思っていた。というのも、僕が小学校3年生のときに小学校に父が赴任してきたのである。それまでは普通の小学生(?)として過ごしてきたが、父が赴任してきてから、先生や同級生をはじめとする学校の生徒から「〇〇先生の息子」という目で見られるようになった。以来、どれだけ自分が努力をしたり、何かを残したとしても結局、〇〇先生の息子だからというレッテルからは逃れられないと悟った。一方で、両親が心血を注いできた教育というものに少しは携わってみたいとも思っていた。

就職活動も一段落して、もう今後のキャリアで教育に携わることもないか、と半ばあきらめの気持ちもあった頃、教育系インターンの募集が目に止まった。ある意味、(塾のような)一般的な授業形式のものであれば惹かれることもなかっただろうが、自分がちょうどしたいと思っていたこととのつながりを感じて、興味が湧いた。(他の記事でも何度も書いているが就職活動を通して「自分が何が得意で、社会にどのような機会があるのか」を就職活動という限られた期間の中で見つけることが難しいと感じており、このインターンを通して漠然と不安を持っている過去の自分のような人をサポートできるのではないかと、昨年のちょうど今頃、応募をした。)2年前であれば挑戦の機会すらなかったと思えば、タイミングが良かったと思う。

インターンに挑戦するにあたり、1年間、現状どんな課題があるのか?そして、どんなことに注力していくべきかのヒントを得るため、選考の他にインターン先の部長にインタビューをする機会をいただくことができた。未だに頭から離れないのは「機会があれば貪欲に挑戦することが重要だ」というメッセージだ。ある意味、ありきたりに聞こえるかもしれないが、この言葉をきっかけにインターン中は挑戦することは常に頭の中にあった。(どれだけできたかは疑問符が残るが..)

インターン当初と今の振り返り

インターン当初を今になって振り返ってみると、無理していたなぁと思う。業務がキャパを超えていたということではなく、自分を飾っていたなぁと。自分の中のいくつもある仮面を何度も付け替えていると疲れる。それが仕事だといわれることもあるだろうし、それが求められる場が現実には多くあることは否定しない。ただ、この1年を通して、誰かとの深い関係を築いていくには、等身大の自分でいることが一番だと感じた。そうでないと、届けたい人に届けたい言葉が届かない。これはおそらく友達関係にしても、それ以外にもいえることで、深く関わる相手にはそうした関わり方・関係性を大事にしていきたい。

環境の変化

環境が大きく変わることもあった。そこに憤りを感じることがなかったといえば嘘になるが、今になって思えばいい経験だったと思う。多くのメンバーの業務にあたる上での姿勢や考え方を知ることができ、そうした人たちと繋がりを持つことができた。これからも環境が変わることは多々あると思うが、変化を前向きに捉えることのできる柔軟さを少しは持つことができたのではないだろうか。(とはいえ、当時はやっぱ辛かったけどね、)

何を残せたか

この1年を通して何を残し、何を残せなかっただろうか。少しは残せたような気もするし、何も残せなかったようにも思える。前述したインタビューの中で、組織としての課題を伺った際に「全体最適化はできてきているけれど、完全な個別最適ができていないことが課題だ」というメッセージをいただいていた。当初は理解できなかったが、個々人の置かれている状況や取り巻く環境には当たり前であるが差があり、自分が伝えたいメッセージが届かないということもよくあった。その意味では、伝えられない層に対して何も残せていないといえる。

逆に、何を残せたか、強いて言えば、自分の学生生活を振り返って、役に立った・面白かったと思えた本の紹介をしたり、進路で悩んだ経験やそれを考える上でのポイントだと思うことを本音ベースで伝えることはできたかもしれない。ほんの少しでも、彼らのこれからの役にたてれば嬉しいな。

何を得たか

1年を通して多くを得た、と思う。本音ではあるものの、さすがに漠然としすぎているのでもう少し具体的に書いてみる。

基礎スキル的なところでいえば、オンライン上でのコミュニケーション(間のとり方やうなづき)や、タイピング、プレゼン資料の作成技術は以前よりも向上した気がする。

他には、間口を広げていれば誰からでも学ぶことができるという意識を強く持つことができた。世の中には自分の知らない世界がたくさんあって、精通している人もたくさんいる。そこには年齢や性別など関係ない。学ぼうと思えば誰からでも学ぶことができることを実感した。

また、もう少し抽象的な視点では、プレーヤーとそれを取り巻く環境・仕組みについて考えさせられる機会は多かったかもしれない。前述した環境の変化などは自分の変えることのできないもの。一方で、自身の取り組みの姿勢や取り組み方は自分の変えることができるもの。定数と変数のような関係を肌で感じた。

もしかすると、自分だけ(意思や能力やその他諸々)で変えられないものを変えようとする努力ほど虚しいものはないかもしれない。(変えられる、または変えなければならないという確固たる信念があって、本気で取り組み、協力してくれる人がいるのであれば別)変えられないものへの疑問は持ちつつも、ある程度受容し、自分が変化させることができるものに力を使う、または、変わらないものを変えることができるほどの力をつける。その方が有意義だ。こんなことを書きながら、今後悩むだろうなと思っている自分もいる。理解しているつもりでも、理解と実行は同義ではないから。

うだうだと書いてきたが、一番得ることができたものは今後も関わっていきたいと思える人との繋がりだ。直接会ってみたい人。一緒に仕事がしたいと思える人。真面目な話もバカバカしい話もしたいと思える人。一緒に喜怒哀楽を共有したいと思える人。そんな人に出会えたことは我ながらラッキーだなと思う。

インターンには多様なメンバーが集まっていた。彼等が言っていた言葉を少しだけ残そうと思う。

「思い出すのは思い出 刻まれるのは自信」

「変えられるものを変えられる勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を」

どんな人と一緒にいたいかということも、少し言葉にできるようになったかもしれない。相手のことを心から尊敬できること。謙虚であること。相手を信頼できること、信頼してくれること。自分の考えを持っていること。独自の世界観があること。他にもいろいろある。(が、書いてみて要求が高いなと思う。笑)


とりあえず思いつくまま書いてみた。書ききれていない部分も多いので、また書くかもしれない。というより、また書く。今日はもうアイディアが出てこないのでここまで。今日もおつかれさまでした。

Nao

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