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幸せの分類:「幸せな状態」と「感じる幸せ」

「幸せ」という言葉や感覚は、人が生まれて成長する過程でさまざま体得して定義づけてきたものです。そもそも言葉自体がそういう性質を持つものであるとは思いますが、たとえば「りんご」は実体を感じる分人ごとのブレが少ないでしょう。りんごは人により解釈が違う!ということはあまりなく、だいたいりんごはりんごです。

一方の「幸せ」は実体がありません。だから、人により解釈のブレが大きくなります。よく言われるように幸せは人それぞれなんでしょう。
だれもが「幸せってこういうことだよね?」と明確に定義づけたり答え合わせをしたことはないと思います。(あれ?したことある?わたくしその授業欠席したっけw?)

ただ多分中心にあるものはだいたい同じです。
人間としてセロトニンとかオキシトシンとかβエンドルフィンがもたらす幸福感は、おおかたの人が「幸せ」と感じ、そのように言葉などで表現するものでしょう。
だからよく寝て朝起きて、朝日を浴びて散歩すると、生物的に幸せになってしまう。大体の人がそう。これを生物としての人間の中心近くにある幸せ、と表現したいとおもいます。

その中心。そこから離れたところで、人により幸せの解釈が異なってきます。
お金を持つことに幸せを感じる、地位が高まるとこで幸せを感じる。
これらは社会がその人の中に影響を及ぼしてきた幸せです。一般的に地位財と言われるもののことが多いでしょうか。
財産を持っている、仕事が充実している、家族と仲が良い、友人がたくさんいる。
満足感と言えるかもしれません。
満足感とする一方で幸せとも表現する人がいます。多くの人がそうでしょう。


仮に名前をつけるならば人間の中心にほど近い部分にあるものが「感じる幸せ」と言うのはいかがでしょう。脳内物質の作用で得られる感じ・感覚=幸せです。
もう一つは、中心から離れたところに社会的な幸せ=地位財による幸せ=満足感。これは「幸せな状態」と名付けましょう。

この2つは全く違うものというものではなく密接に関連しています。
冒険に対する高揚感や、お金が稼げる見込みでドーパミンが出るとか、家族、恋人との安定的な関係性を保証することから結果得られるオキシトシンとか。スポーツで所属チームで得られるプライドとか、その役割を果たすプレーや達成感。

この”地位財の存在”や”満足している状態”=「幸せな状態」を、あらためてその人が認識すると、「感じる幸せ」がスパークします。
ああ、これだけ貯金がある。将来安心だ、と幸せな状態を確認すると幸せを感じます。

かなり幸せな状態(というのがあるとして)だったとしても、スパークが起きないと何も感じません。
他の人から見て「あなたはお金を持っていて幸せだね」といわれたとしてもそのスパークが起きないと、幸せを感じず、お金を失ってしまう怖さのほうが勝ってしまうかもしれません。


「感じる幸せ」「幸せな状態」のどちらが良いか、というものでもありません。
身も蓋もない言い方をすると「感じる幸せ」も脳内物質のコントロールで簡単に得ることができるのかもしれませんし、「幸せな状態」も たとえば今の自分よりもっと悲惨な境遇の人との比較でたやすく得られるかもしれません。
幸せを得るコストはそれほど高くない、、かも。

あなたは、こんな感じで簡単に幸せを得ることにためらいを感じますか?
心情的に良くなかったりするでしょうか。できれば脳内物質のコントロールなんかしたくない、人を貶めて自分が幸せを感じるのは後ろめたい、、とか。。

すると、あなたには幸せより優先するものがあるということになるかもしれませんね。自然が大事とか、人を貶めないこと絶対とか。
それほど幸せの優先度が高くない人なのかもしれません。


たぶん、幸せという言葉がそれぞれ人ごとに解釈が違っているままで、幸福度を測るとか比べるとか、論じることが難しんだと思います。議論するためには粒度・言葉の定義をあわせたほうが良いかなと。
このためには、むちゃくちゃ浸透していて、浸透しているにも関わらず解釈が異なる「幸せ」というワードは使わないほうが良いのかもしれません。なんかいい言葉はあるのかな?

たとえばウェルビーイングは満足感に近いかも、と感じています。

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