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美術館の絵の見方

混んでる美術館がほんっとーに苦手で。

まず、自分のペースで見ることができない。人だかりでお目当ての絵が見づらい。他の人の邪魔になってないか気になりすぎてしまう。

他人を気にせず、近くで見たり遠くで見たりしたい。
すっ飛ばしたり、じっと心ゆくまで見たりしたい。

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山田五郎さんは、youtubeで「どのように絵を見たらいいかわからない」という質問に対して、「自由に思った通りに見ればいいんですよ」と回答されていた。
絵なんてものは見方なんぞ気にせずそこから何かを感じ取れば良い。感じなくても良い。

そうわたくしも思うが、一方で見方を質問した方側の気持ちもわかる。

あまりにルールがないと落ち着かない。
わざわざ美術館に行ったのに無駄に過ごしたんじゃないかと不安になる。

だから一定の作法やパターンを教えて欲しい。
それ通りにやれば最低限の収穫を得た気持ちになりたい。

とはいえ、まあまあ美術館が好きなわたくしとして、同じように絵の見方を聞かれたら「好きに見たら良いんだよ」と言ってしまう。
相手に見方を指南してそれが誤っていたり、お気に召されなかった場合に責任を取りたくない、、という気持ちもあるが、本心で好きに見るのが良いと思っている。
わたくしの今のスタンスも”自由に好きに見るよ”、である。

理由は、何回か絵画鑑賞を体験してなんとなくわかったから。
「見方はこれであっているのだろうか・・・」と落ち着かない気持ちのまま数回絵画鑑賞をこなした。その結果だと思っている。(結果というほどのものではないかw)

だからルールや作法がほしいときは体験回数が足りないときなのだろう と思う。

たとえば、われわれを「ルール・作法」と「自由」の間を揺れ動く存在としたとき、
はじめはルール・作法側に寄りガイドを求める。
自分の足元が確立していないから。
これが回数を重ねると自由の方へ寄っていく。
勝手がわかってきたから。

さらには、自由の方に振り切ったあと、何やかやを理解してルール・作法との自分なりの中間点をさぐる。のだろう。ルール・作法もマイルール・マイ作法となっているかもしれない。

というわけで、何かを始めるときにはガイドがあったほうがスムーズなんだと思うようになった。

絵本も絵本作家の方に聞くと「絵本にルールはないよ。どんなのでもいい」とおっしゃるし、たしかにそうだと思う。
絵本は、判型が揃わず本棚からはみだす。内容も然り。やっぱり自由。
でもこれは、その作家さんの体験や歩んでこられた過程で「自由だ」という意見にたどり着かれたからだと思っている。その過程で自由について体感して納得して自由だ、と行き着いた、と想像する。

でもそう言われても、われわれぴよぴよの身にとっては、自由の刑みたいで何も進まんw
なので、やっぱりはじめは基本に沿った形式で始めたいな、と。

以上、メンバーシップをやりながらこのように思った次第でした。

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