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私の針仕事について

私は何時から
縫う事が好きになったんだろう…
と考えた。

小学生の頃から工作が好きで
皆んなが嫌がる夏休みの宿題も
大好きだった。

空き缶に粘土を塗って
貝殻をペタペタ貼り付けたり
缶を3個引っ付けて
モールでグルグル巻きにして
ペン立てにしたり

カラフルな色のクレヨンで
花火の絵を描いた後
真っ黒に塗り潰して竹串で擦ると
下の花火の絵が顔を出す
みたいな事をして先生を驚かせたりしていた。

自分の手で作れる面白い事を
何時も探しているような子だった。

学校の帰り道は発想の宝庫で
小石をポケット一杯にして持ち帰り
どう料理しようかとずーっと眺めていたり。

雑草の間の小さな花や虫たちからも
色んなインスピレーションが湧いてくるので
寄り道は欠かせなかった。
むしろ寄り道の為に学校に通ってた
と言っても良いかも知れない。

そんな私が中学生になった辺りから
素材が布に替わっていった。

身近に針と糸と布が有ったのだろう

友達の誕生日に
手作りのプレゼントをしたのを憶えている。
ポケット付きカンガルーのレターラック
喜んでくれたかは全く憶えていないが
完全な自己満足で一人で悦に浸っていた。

それから当時、
結核で入院していた母のお見舞いに
妹と2人で小さな人形を1個づつ作って
「アッペルとテッペルだよ」
って渡した。

母が寂しくない様にと
御守りのつもりだったのか
気持ちを込めた物を渡したかったと思う。

今も母が残してくれていて手許に有るのだが、
大きくて不揃いの針目で
端切れとフェルトを駆使して
大人の手のひらにスッポリ収まる位の大きさで
海賊とピエロが合体した様な人形だった。

今見ると恥ずかしい位
お粗末な仕上がりだが
母はどう思ってくれたのか…
聞きそびれたままだった。

でもこの頃から
創作意欲を掻き立てる素材は
布になっていった様だ。

しかし教育熱心だった母は
勉強以外の事をするのを嫌ったので
こそこそ隠れて縫い物をしていた。
手仕事はお勉強の出来ない人がする事
という概念が強い両親だったので
罪悪感さえ植え付けられてしまった。

高校生になると
勉強と部活で忙しく
全く針など持てなかったし
社会人になって独り立ちしても
心に余裕が無くどんどん遠ざかってしまった。

再び、針を持ち出したのは
長女が産まれてからだった。

この続きは又明日

#パッチワーク #針仕事 #縫い物

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