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わりと日刊だらく[No.20]〜雲を眺める〜

今日もテキトーにやっていきます。



今日の散文


雲を眺める

今日は空を眺めても、全くと言っていいほど雲がなくていささか困っている。

最近、家の中から窓越しに雲を眺めるのが趣味だからだ。

風もなく、暖かい部屋の中で毛布をまとい、背もたれに体重を預けながら、流れていく雲をただ眺める。それが好きだ。


僕の脳みそは、壊れている。あの世界の底が抜けた日から。その後も少しずつ壊れていった。

あの時までは、視野に入るものすべてに注意を向けられた。視点を合わせていなくとも、視野に入るものすべてを見ていた。

においと記憶と感情とがリンクしていた。

夜が静かで綺麗だった。4K以上になめらかでクリアな映像が、青と黒と白のグラデーションによって冷たい温度を感じるようだった。

いつも夜の音が聞こえていた。虫の声、車の音、室外機とかの人工的な音。冷たい映像がただの音を特別にしていた。

さみしくて、待ち遠しくて、今すぐに起き出したかった。


雲を眺めている時、目ではなく、全身が見ていることに気付く。

冷たい空気を鼻の奥に感じる。

いつも左下に流れていく雲が、僕の皮膚の上を、微妙に模様を変えながら流れていく。

少しだけ浮いているような気がする。ゆらゆらと揺れているような気がする。


雲を眺めていると、脳みそが壊れる前に戻ったような気がする。すこしだけ。

その感覚は、何かの動画を見ている時にもたまに現れる。

「感情を見ようとする」のを思い出す。街の風景や家具を見て、文化や時代を感じる。

それがいつも当たり前に見える人にはわからない、脳みそが壊れた人にだけわかる感覚だと思う。


脳みそが壊れたことについて、良いとも悪いとも思ってはいない。僕の人生に起こるべくして起きたことだから。

もう二度と僕の脳みそは元には戻らないし、戻そうとも思っていない。

ただ、新しい景色を見るためにこの「身体で見る」感覚を育てていきたいと思っている。手放したくない。根付かせたい。

良く思考が働く状態にある時は、いつも身体がすべてを捉えようとしている。

身体で考えなくてはならない。身体で記憶しなければならない。そこに特別な感情はいらなくて、見たもの聴いたものをそのまま全身で捉えることと、自然に発生する問いを深めていくことが大事なことだと感じる。

雲を眺めることで、全身で見る。

この自然な思考に向かっていくことで、戻っていくことで、何か変わっていく気がする。

人工的なイチの積み重ねではなく、自然的なカタマリの積み重ねをやっていきたい。


音楽

石ころみたいな曲だった。と思ったら途中から語りが入ってきてちょっとうざかった。よく見たらLiveと書いてあった。



一人組

くらがりチャレンジ
幼女戦記というアニメを見た。

贈与
なし。

パブリックを思い出す
やった。

小休憩
やった。

観察と感想
カラスと雲のない空を見た。

愛を思い出す
やった。

本とお話しする
なし。



終わりに

この数日間の休日は失敗した。

対談記録をnoteに残そうと思ったのだが、人ひとりの人生をおもしろくわかりやすく語るのには、まだ僕の書く技量が足りないようだ。

まず、時系列的な流れで整理し、次にその人の受けた呪いを「親の教育」「その他の特殊な環境」に分類した。

だが、それを文章にするとなると、また別の汲み上げをしなければならない。

一応、わかりやすく4つの段階に分けて、それらをうまく繋げる感じで書いてみたのだが、どうもしっくりこなかった。

カタに当てはめて細かく書いていけば、確実に伝わる文章にはなるのだが、しつこくて退屈だった。それは書いている本人が一番わかる。本当に退屈な文章だった。

このクソみたいな作業とアニメを見ることで三日使ってしまった(余談だがワールドトリガーがおもしろすぎる、僕は悪くない、ワールドトリガーが悪い)。

ただ、良いこともあった。

これをやることによって頭の中がめちゃくちゃ整理されたのだ。

記憶も定着しただろうし、色んな情報がテーマに分けて統合された感覚がある。こういうまとめ的なことをやるのは悪くない。

ただ、出来ればあっさりと1時間程度で終わらせたいな。覚える必要があると思われることだけこんな感じでやっていこう。


今日も良き日であった。

明日はもっといい日になるよね、有象無象。

じゃあ、また、あした。

良い夜を。

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