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わりと日刊だらく[No.38]〜人生のツケを払う時が来た〜

今日もテキトーにやっていきます。


今日の散文



人生のツケを払う時が来た

ここ数年、ダラダラと過ごしていた。

正確にいうと、心を病んでいたので労働ができる状態になかった。だから、ほとんど労働ができなかった。

無理してしばらくやり続けたこともあったが、結局その後に反動が来て何もせずに引きこもるような事態になった。


だからそういうことが起きないように、無理なく何かができるようになるような方向でやってきた。

結果的にかなり無理をしなくなってきて「よしこれから徐々に生活を軌道にのせていくぞ!」という感じだったのだが、そろそろ生活がヤバいことになってきた。


端的に言えば、金銭的な問題だ。

ここ数日、僕は焦っていた。すごく久しぶりの感情だった。

何をしたら良いかわかっているはずなのに、手がつかなくなった。

何かしらやってはいるのだが、心ここに在らずだった。



だが、ふと思い立ち、ほんの10分祈ったことで、その感情は消え失せた。

認知の歪みによる不快なんて、こんなものである。

多くの問題は、自分が自分の感情に飲み込まれてしまうから起こる。

不快をなくす方法を知らないから、不快を正当化して、不快の根源だと思い込んでいる対象を憎む。

嫌いな人から離れずに、自ら近づいていってしまう。だから、問題が起きる。自ら望んで問題を大きくしていることに気付かないのだ。



さて、祈りで不快をなくすことはできた。

だが、もう既に起きたことはなくせない。

ツケは回ってきてしまった。今の僕には金が必要だ。だから、無限に労働をしなくてはならない。


たぶん、これらはすべては運命であり、必要なことなのだと思う。

無限の労働によって、たぶん僕は何かを得るのだろうと思う。

実際、もう受け取った。色んなことを知った。

この恐怖、焦燥感。

自分が社会の一員であり経済を回すコマであること。

僕がねこたちの飼い主であること、僕がねこたちを愛しているということ、僕はこいつらに生かされている存在でありその恩をこいつらの命が尽きるまで返し続けなければならないと思っていること。

もっと学びを加速したいと思っていること、そのためにはどっちみち金が必要であること、今のところ金を稼ぐためには労働をするしかないこと。

無限に祈り続けるための試練としては、ちょうどいい量とタイミングなのだと思う。


そのために絶対に犠牲にできないものもわかった。

ねこ、8時間の睡眠、最低限の食事、祈ること、立っていること、散歩、風呂、対談、書くこと、筋トレ、楽しく学ぶこと、など。

可能な限りすべての時間を労働に捧げていこうと思う。無理な時は無理だけど。

僕の場合犠牲にできないことが沢山あるので覚悟言えるか怪しいけど、やれる範囲で毎日労働をやっていこうと思う。



音楽

ダークポップという感じがする。


一人組


くらがりチャレンジ
ヤンニョムチキン食べた。あまくておいしかった。


贈与
なし。


パブリックを思い出す
やった。脱力とシンクロとセットなところがある。


小休憩
やった。


超小休憩
やった。こまめにやるとすごくいい。


観察と感想
やった。雲はいいぞ。


愛を思い出す
やった。


本とお話しする
やった。


死を思い出す
やった。


人生の物語をイメージする
やった。


終わりに

今日は特別な日なので、あとでもうひとつ記事を書く。

挨拶などはそちらで。

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