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わりと日刊だらく[No.102]〜能力の証明〜

今日の散文


能力の証明


ゲームにひたすら打ち込んでいた時期がある。

他にやることがなく、他人に認められる手段として手頃なものがそれくらいしかなかったのだと思う。


あるオンラインゲームではキャラランクTOP5に入り込むくらいにはやり込んだ(マイナーキャラなのでそんなにすごくない)。

でも、まったく満たされなかった。


ある日、このまま上を目指しつづけていても幸せになれないことに気付いた。

その上を目指している日常を愛すことができなかったからだ。

一位になったら、きっと一瞬だけちょっとした快楽が得られる。でも、すぐに我に返って、また上を目指す日々に絶望すると思う。


今度は、一位でありつづけるために、神経をすり減らし続けることになる。そんな日々はもういらないなと思った。


その時期の僕にとって「勝負」というものは、自分の価値の証明だった。高い能力を証明することで、そのために日々練習をし続けることで、それを自分の生きている理由としていた。気づかぬうちに。 

だが、自分より能力の高い人というのは無限にいる。

配信などを見ているとその思考回路が自分とまったく違うフレームで行われているのがわかった。マクロ視点の動きも、ミクロな反応の癖も、ぜんぜん違った。

でも、僕にはそういう細かいことを楽しめるほどの体力が残っていなかった。

動きの合理性、細かいテクニック、勝率などすべてにおいて負けているように感じた。

そして、他人の才能に目を瞑った。嫉妬を抑圧していた。

そして、ひたすら、試合数をこなし、練習を続けて自分を追いつめ続けていた。時間をつぎ込めばいつかどこかに辿り着くことを信じたかった。

でもそんなものはなかった。

いつしかその日々に疲れ果てて、僕はそのゲームをやめた。


こういう場面になった時にそれを吸収して楽しめる人にあこがれていた。

そういう人は、何かをやり続けても楽しくやっていける人なのだと思う。

勝つことを目標としてやってはいるが、負けを恐れていない。能力の証明に興味がない。

負けに苦しまず、変化を恐れず、ただそれをやり続ける日々こそがその人の人生で充実した時間になる。それこそが幸福なのだと思う。

埋め合わせ的なヨコシマな目標を達成することを求めず、ただ、何かをやり続けるだけの日々に楽しみを感じていくことが素晴らしいことなのだと思う。


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