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わりと日刊だらく[No.74]〜追い込まれた労働の祈り〜

今日の散文


追い込まれた労働の祈り


さらに追い込まれてしまったので、今後2週間、1日でも休むとヤバい感じになってしまった。

たぶん、来月もそんな感じで働き詰めになると思う。


たぶん、そういう状況に追い込まれたからだと思うんだけど、少なくとも労働を再開したての昨日と今日は、やる気に満ちている。

というか、ある種のあきらめが常に自分の中に生まれたような気がする。

正直、また2日目だし、確信はない。気がするだけかもしれない。


でも、書き記しておく。僕はあまりにも記憶力が悪く、すぐに忘れてしまうので。こう思ったことを書き記しておきたいと思った。

こうやって毎日自分のためだけに記事を書くのは、言語化のためだけではなく、記憶の保持のためでもある。


労働の中に、自由な思考の空間を見つけたような気がしている。

「労働が終わったらあれをやろう」みたいな考えで今まで動いていたけど、それが甘えだったことに気づいた。

いや、例えば事務作業をしている時にギターの練習はできないし、できないことはできないのだが。



今までは、労働の時間と空間の中に、労働そのものと絶えることしか見出せなかった。

昨日はそれがなかった。

しばらくの間は労働が自分の主な時間になるのだな、という意識が芽生えていた。それがあきらめにつながったらしい。

結果的に、労働中に、余白の時間を見つけて、何かを考えるというのが出来た。


器用な人はいつものようにやっていそうなことだが、僕はそういう「ながら」がすごく苦手なので、それが少しでもできたことに「おぉ!」と心の中で感嘆の声を上げていた。



2週間、フルで働けるかは正直わからない。無理かもしれない。

でも、謎の変化が起きているので、今はすごく楽しい気分だ。

これが続いていけばいいなと思いつつ、労働をしなくても祈りが続くようになりたいなと思いつつ、身体が壊れないように祈っている。

そして、この感覚を休日に持ち込むためのアイデアを今日から考えていく。

キーワードは「移動」と「欲望(欲望ベースの累積された思考空間)」。


何を書いているのかよくわからない部分も多いんだけど、ざっくりいうと、移動の時のバランスを取ったり瞬間的に何かを判断する感覚と、欲望ベースの思考空間に色々な情報が蓄積されて色んなものを引き出せる状態で進み続けている状態が大事だと思っている。そんなものがあるのかよくわからないけど、なんかそういうアイデアが出てきた。

そのバランスを、静止状態でいかに取るか。普段の動的な状態でやっていることを、静的な状態で再現する。

それを休日に持ち込みたいと考えている。できるのか知らないけど。


今日の音楽



超越の祈り

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