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12/30 内なる自由と外への自由

メタルギアを思い出す。

ビッグボスが言っていた「内なる自由」と「外への自由」。



人は、構造的な抑圧から解放されることを望む。

資本主義ゲームの中では金を手に入れ金持ちへ、親からの抑圧なら家出するとかヘタをすれば親を殺すとか、政治的な抑圧なら政治家になってこの国を変えようとするとか、思想的な抑圧ならインフルエンサー的な立ち位置になって声をあげて社会に訴えかけていくとか。そういう「外部を変えることで自分が解放されることを目指すこと」が「内なる自由」である。



内なる自由を目指す人はどうしようもなく不自由でかわいそうだ。きっとアガったあともまた内なる自由を目指して、抑圧されつづける人生が待っている。

メンタリストDaiGoさんを見ればわかるように、金を手に入れても、幸せになれない。

また新たな不幸を見つけて、それを必死に解消とするのが人生の責務となる。僕には彼がそのように見えている。内なる自由に支配された人。世界を変えないと自由になれない人。ひどく不自由な生き方である。



いまこれを言うと、日本の多数派に迎合してる感じに見えそうですごく嫌なんだけど、僕にはひろゆきさんがとても自由に見える。

たしか水道橋博士の番組で見たのが最初で、それはもう10年以上前のことになる。その頃から変なたちふるまいをする人だなとは思っていた。

2ちゃん時代のひろゆきさんはよく知らないが、大学生時代のエピソードとかを聞いたり、交通違反の揉み消し方という記事を書いたとかいう話をどこかで聞いたり、有名な「30億円の賠償から逃れている」という話を聞くと、すごく自由な生き方をしているなあと思う。

まぁ実際本人がどう感じているかはわからないんだけど、人生をとても楽しんでおられるように見えるし、空気を読まず、間違いを恐れず、しかし儀礼はやりつつ、まったり生きているように思う。



彼は、他人を変えようとはしていない。僕が見たところ、彼はつねに「外への自由」をやっている。


プロ奢ラレヤーも同じだ。彼も外部をコントロールすることをあまりしない。ただ、彼は構造的に物事を考えて何かしらの実践をするところがあり、結果的に外部が彼にコントロールされているところは大いにある。が、別に彼は変えることそのものを望んでやっているわけではないように見える。



さてここでひとつ読者の皆様に問いたい。

「内なる自由を目指すもの」と「外への自由を目指すもの」どちらの方が世界を俯瞰的に見られるだろうか。

「内なる自由を目指すもの」と「外への自由を目指すもの」どちらの方が楽しい人生を送れるだろうか。

「内なる自由を目指すもの」と「外への自由を目指すもの」どちらの方が他人の不幸をなくせるだろうか。



答えは明白である、と僕は思う。



いつでも自分にこう問うていたい。

その自由は、他人から与えられた規範に合わせただけの結果なのではないか。自分はその規範を納得してやっているのか、それともただ合わせているだけなのか。

ルサンチマンを解消するために生きていないか。その行為は何かの埋め合わせではないか。その行為を純粋に楽しんでいるか。抑圧の解消ではなく、興味と感動を味わえているか。




内なる自由は失敗に終わった。

残された僕たちに与えられたのは外への自由である。

新しい余命を探せ。

蛇はもういらない。

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