チルではない何か

強い感情があるとずっと何かしら考えてるけど、落ち着いていて緩やかでもうこれ以上何もいらないと思えるような穏やかさの中に入るとなんも考えなくなる。つまり、チルだ。ずっと俺はそのチルとやらを至高の感覚であると思って目指してきたけど、どうやらそうでもないらしい。おもんない。メインディッシュではない。休憩だ。チルは休憩でしかない。休憩をメインディッシュにしようとしてきたからいろんなことがうまくいかなかったのかもしれない。では、メインディッシュはなんなのか?その強い感情だ。祈りからほど遠い、俗っぽい、下卑た営みだ。きっと大罪を犯すのが人生なんだろう。七つの大罪における強欲の何が悪いのか俺にはわからない。欲がなければ人間社会なんてものは成り立たない。欲を否定するならば人間が滅びたほうがいいに決まっている。過剰な欲望が、強欲さが、自分を変え、他人を変え、社会を変える。それが良い世界かどうかはさておき、無数の問題が起こってきたから今があるわけで、だから強欲を否定する意味がよくわからない。自分が幸せになりたい。まわりの他人も幸せにしたい。だから社会を良くしたい。だから世界を良くしたい。だからもっとすごい能力を手に入れたい。それの何が悪い?強欲を禁じて、慎ましく諦めて生きようなんてクソだよ。欲望のままに生きろと言いたいんじゃない。欲望こそが人間の本質と言ってもいいほどに欲望というものが大切だから、ちゃんと欲望したほうがいいと言っている。欲しいものをちゃんと欲しいと思えたほうがいいと言っている。チルの先に待っていたのは焼かれるような感情だった。イヤな気持ちになる。でもそこに俺の何かがある。そのイヤな気持ちをもっと深く知りたい。どんな感情が混ざり合っているのか。なぜそうなったのか。それはいろんな経験をして比較をして判断していくしかない。人と会うたびに自分の感情に名前がついていく。不快にも種類があり、快楽にも種類がある。この人の前ではこういう感情になり、あの人の前ではこういう感情になる。なぜそうなるのか。それが知りたい。その人と会っていない時にもそのことを考えている。恋ではないかと思うほど自分のことを知りたいと思っている。この業火に焼かれたような感情が素晴らしいとは思わない。ずっとこうでいたいとも思わない。ただ、ずっとチルしていたいとも思わない。死にはしない程度の痛みが欲しいのかもしれない。

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