死者との会話の祈り

誰かが亡くなって強まる呪いがある。



もうその人に気持ちを確かめることはできないから、コミュニケーションという過程を踏むことができないと思っていて、ひとりで考え込むようになったり、考え込まないけど感情を抑圧したまま生きるようになるのかもしれない。


しかし、人は亡くなった人と会話することができる。

これはスピリチュアルでもなんでもなく、ただの事実である。

相手から応答がないだけで、こちらから話しかけることはできる。応答があることももしかしたらあるかもしれないけど、応答は必ずしも必要なものではない。



コミュニケーションは相手を必要とするが、それは常に想像的なものである。

例えば、誰かと対面で話しているとする。でも、目の前には肉体があり、動きがあり、音があるだけだ。

相手がどういう前提を持っているかは、自分の記憶によって判断される。

つまり、自分が認識している特定の他人とは、目の前にいなくても自分の中に存在している。そして、目の前にいる時もある意味ではそれと同じと言えるとおもう。



だから相手がいなくたって、自分が相手のことを覚えていればコミュニケーションをとることができる。

考え込んでひたすら無口に無表情で「あの時どうすればよかったんだろう」と考えつづけるよりも、あの人に話しかけて「私はあなたにこうしてあげたかったんだ。ごめんなさい。そしてありがとう。私はどうすればよかったかな」と泣いたり笑ったりしながら考えて納得に向かっていく方がいい。



コミュニケーションは、必ずしも双方向的である必要はない。一方的であっていい。恋愛でそれをやるとストーカーになっちゃったりするかもしれないけど。

僕は対談する時、ひたすら相手の話を聞く。カウンセラーじゃないから聞きたいことを聞きながら普通に雑談みたいにしたりもするけど、9割型相手の話を聞いている。

僕は議論をするよりもこっちの方がよっぽどコミュニケーション的だと思う。なぜなら、相手の前提がより見えてくるからだ。

そしてきっと相手も自分のことをひたすら話すことによって、自分で自分のことに気づくはずだ。


だったら、亡くなったあの人と話してみてもいいんじゃないか。

後悔を打ち明けてみればいいんじゃないか。

謝罪したり、感謝したりして、呪いを解いていけばいいんじゃないか。

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