迷い

あまり迷わなくなった。というより、何もわからないので迷う必要がないとわかったのかもしれない。迷う時間が好きではない。「時間がもったいない」うーん、ちょっと違うな。「ムダにストレスを感じるのがめんどくさい」これはわりとしっくりくる。「直感か、いま自分の中にある判断基準で合理的に決めたい」これもある。最初はこの記事の冒頭を「迷わなくなった」で始めようとした。でも違うなと思った。決して迷わなくなったわけじゃない。直感的にパッと決めることと、迷った時はほぼ迷った瞬間に「あっ、これはダメなやつだ」と気づくことが増えて別のやり方を決めるようになることが増えたのだと思う。迷うことが悪いことだとは思わない。ちゃんと感情が整理され、その選択の中で自分の中の理論(次同じようなことがあった時にほぼそのまま使えるプログラム)がアップデートされるのなら、迷うことは良いことだ。ダメなのは、同じ思考のなかに囚われてしまい、変な感情に引っ張られるだけで、何もアップデートが行われないことだ。理論と共に感情もアップデートすること。どんなにイヤなことだったとしても、納得したのなら覚悟を決めてキリッとすること。仕方ねえよな、どうしようもねえこともあるよな、俺ってどうしようもねえヤツだよなハハハという感じで苦笑いしつつ断念すること。駄々をこねつづけて何もあきらめられないから、ずっと子供のままなんだ。直視するべきものを避けて、それが見えないフリをしつづけてきたから、何にも気づけないんだ。ちゃんと直視して見つめ直すこと。それをやるだけできっと迷いはどんどん無くなっていく。間違えたらその都度に修正をしていけばいい。同じ過ちは二度と繰り返さないと誓い、具体的なシチュエーションを想像した上で「こうなったら絶対にこうしない」と決断すること。欲望によって過ちを犯す前に事なきを得ても、それでも尚その欲望をあきらめられないとしたら、その欲望を上回る欲望をつくりあげること。また、その欲望を安全に発散する手段を持つこと。そんな感じでやっていけばきっと迷いはなくなっていく。いまの俺には自分がやるべきことが見えている。具体的な言葉にはしていない。言葉にせずとも確かに見えている。何をどうすればいいかはわからないが、それを知るための手段とそれを習慣的につづけるための方法が見えている。これまで植えつづけてきた木がどんどんと実をつけている。

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