6月の振り返り後編~オタクは死なない~

5月の末

帰郷したことでライブの予定に追われたりすることもなくなるし、実家で健康的に過ごせると思っていたが、5月の末から元々患っていたパニック障害の発動頻度が上がったり、体が重く立ったり座ったりすることもできないので、お風呂に入ることもできず、入るにしても立ったまま壁に寄りかかりながらなんとか体を洗って最低限の動きでなんとかするというものでした。
買い物に行くことどころか家から50メートルと離れることもできず。運転してもパニック発作を起こしてコンビニの駐車場に車を止めて親の代行を呼ぶというとても日常が送れない状態でした。

そんな中でメンバーへのお手紙の期限である5月末が迫りなんとか 推しメンには書けたがついに他のメンバーには書けなかったことはいまでも心残りです。

6月

双極性障害二型という正式な診断を受けました。
ざっくりいうとガス欠なのにアクセルを踏み続けた結果、完全にエネルギーが切れてしまったとのことです。

思い当たることしかない。

6月の中旬とりあえず完全フルリモート勤務のおかげで出勤もないので日常に苦しみながらもなんとか仕事だけはしていたものの、ある日めまいと過呼吸を起こしてソファに倒れたきり起き上がれなくなってしまいました。
後で知ったコトですが、過呼吸を起こすと手足がしびれるみたいで、実際に自分もしびれていたのですがそのせいで自分はなにかすごい病気に違いない、多分自分は死ぬんだと思いながらその時はソファでぐったりしていました。
ただぐったりしていると不安で死にそうになるので、Netflixでイノセンスを見ていました。とりあえずこういうときは昔の好きなアニメを見て気を紛らわすしかないので…

結局その翌週から仕事を休むことにしました。
社会人人生初の10連休。
思えば5連休以上の休みって何年か前に入院したときと後1回ぐらいでこの年でやっと2回目の長期休暇です。

長期休暇と行ってもそんな感じなのでパニック障害の本を読んだり勇者ライディーン(大昔のアニメ)を見て過ごしていました。

ライブアイドルの曲はもう聴くことができませんでした。

少し調子の良いときはゲームは熱中すると全てを忘れられたのでsteamのゲームをしていました。

車に乗ることもできなかったので心療内科にいくこともできなかったのですが、なんとか親に連れて行ってもらい、そこで双極性障害二型(鬱と躁を繰り返す)と診断を受ける。
体が鉛のように重いでしょと医者に言われまったくその通りだと思った。

そこでもらった薬を飲んだらびっくりするぐらい普通に過ごせている。

風呂に入ることも立ったり座ったりすることもできなかったあの時期からは考えられないぐらい普通に過ごせるようになった。

それでもまだ広場恐怖症は残っていて、レジなどに並んでいるとまだパニックは起きるので当分アイドルの特典会は無理かもしれない。

知性は死なないという本を読んでいた。
大学の教員だったら筆者が僕と同じ双極性障害を起こし入院した話がめいんでありながら歴史学者(本人曰く元・歴史学者)として帝国とは何か?といった筆者の専門の話まで及ぶ不思議な構成の本だが、この時書かれていた双極性障害とはエネルギーの前借りですからというのが一番合点がいく言葉だった。

自分はここ半年エネルギーの前借りをしてそのツケを今払っているんだと。

前半に登場した not for meなアイドルさんはツケ払いをしているみたいで、そういうのを公開するところが自分にはあわないと感じた部分だが、そんな自分が一番ツケ払いをしていたのだからなんとも皮肉な話だと思う。


今は、勤務時間を短くさせてもらったり最低限の相談事項や緊急対応のみで仕事をさせてもらえているので、なんとか働くことができているがフリーランスは働いた分しかもらえないので収入はどんと減っているがこれも仕方ないことだと思う。

後は色々考えないためにゲームにのめり込んだりしている。

多分自分はもう周りから見たら推し活の情熱も休みの日も昔のアニメを見たりゲームをしてるだけの虚無のつまらないなんのタグもついていない人間に見えると思う。

でも、それはSNSを通して見た姿だけで、推し活以外にも人生には楽しいことはたくさんあるし、今日ではなんとかこうしてブログを書けるぐらいには元気になっている。

6月の最後のトピックスとしては最後のチェキが届いた。

最後のチェキには

命を削るような推し方をしていると思っていた、そして、これからは本来の温かさを持ったダラクインらしく生きて下さい

と書かれていた。(他にも色々メッセージあったけどね)

自分はどうも推しメンと決めると全力で推さないと気が済まないタイプなのかもしれないし、それが全部筒抜けで自分だけが気付いていなかったんだなぁと改めて推しメンの慧眼に感服した。

という訳で自分の人生の推し活はこれでおしまいになると思う。
誤解してほしくないのはオタクは辞めないと思う。
というかオタクってそういう性質だと思うのでオタクとして生まれてしまった以上それがアイドルなのかアニメなのか鉄道模型なのかはわからないが”オタクをする”ことは辞められても”オタクである”ことは辞めようがないのでもしかしたらふらっとどこかのアイドル現場に行くかもしれない。

オタクという概念が推しという概念に飲み込まれていく中でもう一度オタクに回帰していきたいと思うのであった。