経世済民

単なる相場奴隷として何をどう売買すれば手元資産が増えるかとか、
一個の生産機構として如何に手元や世界の中の必要な物資を増やすかとか、
自我を忘れてシステムでいることに耽溺できる時間に快楽を感じる。

ゲーム内で私が機能として必要に思うものは、
例えばマインクラフトだったりするとエンチャント済みのダイヤ防具とか、
あるいは回復用のポーションなど消耗品だったり、
他のプレイヤーにとってもそれなりに需要があることが多いので、
そういうものを量産して自分自身が損にならない程度に、
物資が上手いこと流通に乗って流れて行ってくれると嬉しい。

先の例で上げたマインクラフトはそういう仕組みが無くて残念だが、
生産の出来る多くのゲームでは生産に熟達していくことができる。
あるいは生産を通して単純に物の価値を高めたり実用に供する。
そのように熟練か資金かの比率はあるとはいえ、
生産行動というのは他者だけでなく自身も利されるところがある。
しかし、そういったことを理由に搾取しようとする相手には、
私は自分個人としては何一つ渡したくないと感じる。

システムにふかふかパンを買わせるだけでも楽しいし、
村人に農作物と交換でエメラルド貰ってるだけでも楽しいし、
消費先がシステムではなくて他者であることは、
「そうだったら少し嬉しい」が増える程度のことでしかないな。
利を酷く損なってまで行う行為ではないように思う。

交換が成り立つのは互いに一定の価値を共有して相場に納得できるからだ。
一定環境での必需品や貨幣や装飾品といったものは了解しやすい。

感情の相場は私にはよくわからない。
いつかそれがトークンと成り得る日が来るのだろうか。
閲覧回数や投げ銭といったものはそれらの類型なのだろうか。

現代の感情に纏わる世間でのお金の動き方はあまり好ましく思えない。
虚飾や怒りや絶望、対立を引き起こしたり、よくない事が多いように思う。
現況を眺めるに、できれば別軸のままであり続けてほしい。

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