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私が出会った 現地を動かした駐在員たち

私は「中国事業の野戦病院」を看板に掲げているので、どうしても辛口の話が多くなります。

でも、たまには元気が出てくる話もしたい。皆さんもそういうの読みたいですよね、きっと。

今回は私が過去に出会ってきた「現地を動かした駐在員列伝」(大袈裟)。
実際に見ていて「かっこいい」「すごい」と思った駐在員たちの姿を紹介します。

このnoteは、毎週水曜に配信するYouTube動画のテキストバージョンです。
記事の末尾に動画リンクがあります。


無力感に襲われたり放心状態になったこと、ありますか。

中国駐在員の皆さん、赴任先で、自分だけではどうしようもない、どうしていいかわからないという状況になったことはありますか。

私は何度かあります。

2004年に中国に渡ってからこれまで、本当にどうしていいかわからなくなったこと、無力感にさいなまれたこと、放心状態に陥ったこと、全部あります。

全身が怒りではち切れそうになったこともありました。荒ぶった自分を鎮めるために、行きつけのレストランまで3、4キロひたすら歩いたものです(今となっては懐かしい……)。

今回は、特に中国現地の最前線で奮闘する人に読んでほしい話です。

現地を動かした駐在員のストーリー

先に言っておきたいのは、これは英雄列伝ではないということです。

出てくる駐在員に、ものすごいオーラを放っていたとか、『リーサル・ウェポン』に出てきそうなキャラは全然いません。ごく普通の会社員ばかりです。

帰任した後は、もちろん偉くなった人もいますけど、多くは普通のサラリーマン生活に戻っていきました。定年退職に向けて静かに残りの会社人生を過ごしている人もいます。

普通の会社員が中国に派遣されてみたら、そこに課題があったので、「しょうがない、やるか」と現実を動かしていった。これからお話しするのは、そんな人たちの足跡です。

Case1 3代受け継いだ戦い

四天王を追放せよ

この会社の中国拠点では、設立7、8年目ごろから、各部署にヌシのような人が現れ始めました。みんな当時の最上位ポジション(と言っても課長・副部長級)の管理職で、設立当初から在籍し、それぞれ管理部門を牛耳ったり、営業を牛耳ったりしていました。4人いたので、裏でついた呼び名が「四天王」。

「四天王」というぐらいですから、この人たちのやり方には目に余るものがありました。自分だけ特別ルールを作る、部下に規律を守らせようとしない、グレーな噂がある、チャレンジする姿勢もない。ということで、これ以上は会社に置いておけないとなりました。

最初の総経理(=中国現地法人の社長)が、まず1人目と戦いました。この時期はまだ社内に毅然とした対応をするという風土がなかったので、ここの反発が最も大きかった。私もお手伝いしましたが、ものすごい抵抗を喰らいました。

何やかんやあったものの、肉は切らせながらも骨を断つことはでき、四天王のうち1人が去りました。そして次の総経理が2人目、次の次の総経理が3・4人目と、戦って辞めさせていきました。

駐在員の交代タイミングが危ない

結局、四天王の問題を終結させるため、3代の現地トップが「会社を健全化させる」という想いをつないで戦いました。

実は、こうして改革途中で駐在員が交代すると、改革が頓挫したり巻き戻ったりするリスクが非常に高いです。

前任者の改革で追い込まれた問題児たちが「後任者は今までの歴史を知らないし、自分たちへの先入観もない」と、後任者に取り入って(または取り込んで)状況を引っくり返そうとします。また、後任者のパワーが弱いとみると揺さぶったり反撃に出たりします。

この会社でも、経営者が交代すると、四天王の残党たちが食事に誘ったり、ゴマスリしたり、泣きついたり、いろいろなことをやりました。

「前任の総経理はひどかった。私は不当ないじめを受けていた。私のような弱者をいじめるのはやめて、本当の問題に目を向けてほしい」などと言って、自分を安全なポジションに置いて復権しようとしました。

この会社が偉かったのは、代が替わっても取り込まれなかったことです。前任者からタスキを受け継ぎ、四天王がアプローチしてきても「話はわかった。しかし業務は業務だからね」と流して、そのまま冷静に観察していた。

そうすると、業務にも仕事姿勢にもやっぱりいろいろな問題が出てくるんですね。そうやって前任者からの話を自分でも確かめて、現地組織を掌握したタイミングで毅然とした対処を断行していきました。

一貫性の谷を越えた

戦いが3代も続くと、普通は日和って逃げる経営者もいるものです。1人くらい「いや、小島さん、そうは言うけど、日系企業で解雇とか裁判とかはちょっとねぇ。できれば穏便にお金で解決したいんだけど」と言い出す人がいる。

駐在員は一般的に、営業拠点なら売上アップ、生産拠点なら生産性の向上やコスト削減というように、本業のミッションを持って赴任します。労務問題の解決が主要任務という人はいません。

本音を言えば、人の問題、特にネガティブな問題はめんどくさいだけでしょう。この会社の総経理たちにも面倒事から逃げたい気持ちはきっとあったはずです。

でも、この会社は3代続けて誰も逃げなかった。反攻にひるまず、争議から逃げず、改革を受け継いでいった結果、四天王は全員いなくなりました。

私は、駐在員の交代で、経営の一貫性が断絶するリスクを「一貫性の谷」と呼んでいます。この会社は見事に一貫性の谷を越えました。経営の陣頭指揮を執るのが短任期の駐在員という日系企業最大の弱点を、3代にわたって乗り越えたのはすごいと思います。

3人とも、特に海外駐在が長かったとか、過去に豊富なマネジメント経験があったというわけではありません。年齢もバラバラでした。どんな会社でもやろうと思えばやれる。私にとって、非常に勇気づけられる事例でした。

Case2 激難リストラを貫徹

最難関リストラを完遂せよ

この駐在員は、合弁企業で非常に難しいリストラを貫徹しました。かなりの辣腕を振るったのに、一個人に戻るとごくごく普通のおとなしい人で、ギャップも含めて深く印象に残っています。

会社は設立30年ほど。中国側の工場との提携に始まり、途中で合弁会社になって、持分比率を変えながら今に至るという状況でした。途中20年間は非常に業績がよく、会社にキャッシュがあったのは改革には追い風でした。

問題は5年ほど前から生産性が見る見る落ちてきていたこと。すぐ手を打たないと慢性赤字に突入し、これまでの蓄積を吐き出していくことになる。そんな未来が見えていました。

生産性が落ちた原因は、定年まで数年を残すのみというベテラン社員たちの働きぶりです。何せ社歴が長ければ長いほど働かない。現場で統計を取ったら、実質的な業務の7〜8割を新人の派遣社員たちにやらせていました。人数はベテランの方が多いのに。

しんどい仕事は派遣社員に押しつけて、自分たちはその半分以下しかやらない。20代そこそこの派遣社員たちは、習熟もしないうちからベテランの倍以上の作業をやらされるため、疲弊してどんどん辞めてしまいます。

新人が入ってきてはベテラン社員に潰されて辞めていく。これでは生産性を維持できるはずもありません。

となると、単に人数だけ減らしても意味がない。社歴が長い人たち、自分は働かずに派遣社員に仕事を押しつける人たちを何とかせねば。まずはベテランから2割、人員を削減するという目標を立てました。

駐在経験者ならお分かりの通り、年長者から順にリストラするのは至難の業。さらに合弁会社のリストラとなると、日本と中国の投資方が揉めがちです。

私の経験では、人員削減という取り組み自体が労務管理の中でも特に難しい。この会社は上から年齢順で、かつ合弁会社。私が手がけた中では過去最難関のプロジェクトの一つでした(合弁会社の閉鎖や独資の撤退の方がはるかに楽)。

私たちは計画段階から実施までお手伝いしましたが、「どこまでできるかわからないので、期待や楽観はしないでくださいね」と言いながら進めた仕事でした。

結果、見事に当初以上の目的を達成しました。上から順番に2割の社員に辞めてもらい、会社をスリムにし、生産性を改善させることができた。

戦いを終えた後、ほどなくして総経理は帰任し、日本の組織で普通の仕事に戻っていきました。

急がば回れ。まずは風土づくりから

この総経理の成功のポイントは何か。私は三つあったと思います。

一つ目は、外野から弾が飛んでこない状況をつくったこと。手法について日本側の全面支持を取りつけ(「でないと私には無理だから帰任させてくれ」と押し切った)、株主同士の場で「ここで改革を貫徹できなかったら、日本側は合弁契約を更新しない。継続経営したいなら改革の支持だけしてくれ」と中国側に迫るように持っていきました。

私も、このケースから、現地経営層が腹を括っており、株主(本社)から弾が飛んでこなければ、どんな困難な案件でもやり遂げることができると学びました。

二つ目は、リストラのプランを立てたり条件交渉するより前に、私が言う「組織改革の3ステップ」の最初のステップから入ったこと。

組織改革の最初のステップについては、↓こちらの動画をどうぞ。

この総経理は現地に赴任すると、リストラを始める前に「今の生産性は5〜10年前の自分たちと比較しても低すぎる」と具体的なデータを示して、生産量の管理を厳しくしました。

過去にできていたこと、あるいは入社3か月の派遣社員にもできる仕事しか要求していないのに、ベテラン社員にできないのは筋が通らないというわけです。

いきなり解雇など荒っぽいことはせず、「やることをやれ」「ダメなものはダメ」「定時内で十分完了するはずの業務量は、残業ではなく積み残しの解消としてやれ」と、まず日常の管理を引き締めました。同時に長期病休の管理を強化し、ズル休みは認めないという方針を徹底しました。

これを1年かけてやったので、いざリストラに手をつけたときには、すでにベテラン社員の間に「いまのトップはうるさいことばかり言ってきて面倒くさすぎる。まだしばらくは帰任しないだろうしなぁ」という空気が醸成されていました。

若手に仕事を押しつけてのんびりしていたベテランたちは、そういうことが許されなくなり、居心地がかなり悪くなっていた。そこへ退職金の割増を提示しつつ「どうする?」と持ちかけた。この順番は非常に効果的でした。

動じない姿勢を見せる

三つ目のポイントは、シビアな交渉にも動じなかったことです。

私たちの弁護士を交えて条件交渉の個別面談を進めていた時のこと。ある年配の男性社員が妻を伴ってやって来て、小瓶をトンと机の上に置き、「何かわかるか」と言いました。

「農薬の原液だ。飲んだら死ぬよ。オレは他の社員と同じ条件では困るんだ」。要は上乗せ交渉です。1割増、うんと言わなければここでこれを飲んで死ぬ、と脅しをかけてきました。

普通、動揺しますよね。少なくとも躊躇はします。本当に飲んで倒れられたら、メディアに叩かれたら、本社から叱責されたら、ということが頭をよぎり、「ちょっと待て」と言いたくなります。

しかし、この総経理は動じませんでした。「会社として他の人と同じように、できる限りの条件を提示している。これで無理ならどうしようもない」と言い切った。結局、この社員は提示された条件を受け入れて帰っていきました。

この噂が伝わり、どうやら揺さぶっても会社の姿勢は変わらなそうだと悟ったベテランたちは雪崩を打って退職に応じていきました。

交渉は破談して困る方が負ける

こうして非常に難しいリストラは成功しました。

見ていて痛感したのは、交渉は破談して困る方が負けるということです。このケースで日本側には、もし誰もリストラに応じなかったら、または中国側の反対で改革が頓挫したら、合弁契約を更新せず、このまま閉めるという選択肢がありました。

一方、合弁相手にとってはこの事業は「虎の子」だった。合弁終了は絶対に困ると言うので、だったらリストラに協力してね、赤字転落したら撤退するよと開き直れました。それで中国側も含めて一枚岩になれたのが大きかったです。

最悪の場合にはこうすればいいと腹をくくれていると、交渉において強いです。揉めたらどうしよう、ここを突かれたらどうしよう、最悪の事態は避けたい、こうなっては困る……などと思っていると、相手に見透かされます。この会社は最初から腹が据わっていたので、こういう結果になったのは偶然ではないと思います。

Case3 吊し上げに屈せず

たった一人で立ち向かう

これは本当に感動したので、あちこちでしている話です。

ここも合弁で、社歴もそれなりに長い会社でした。真面目な管理者もいるのですが、派閥があり、明らかに会社に害をなすような不正・不誠実なことを組織立って行うようにそそのかす管理・監督者もいました。

そこに赴任してきたのが「正直者がバカを見る会社にはしたくない」という強い思いのある総経理。さっそく制度を見直し、規則を見直し、いろいろな改革をしていく過程で、さまざまな問題が噴出し、とうとうストライキが起きました。

これは追い詰められた問題社員たちが仕組んだもの。自分たちだけ追い詰められるとヤバイと考えたのか、やり方はかなり卑劣でした。

数か月ほどかけて、自分たちとは無関係の部署で女性が多い職場に交代で入り浸り、雑談するふりをしながら「会社が君たちの部署のリストラを準備してるらしいよ」というデマを流したんです。完全に事実無根です。

最初は取り合わなかった女性社員たちも、3か月も4か月もいろいろな人たちから言われると、だんだん気持ちが揺れます。

確かに最近、総経理も厳しいことを言ってるし、合理化の一環であり得るかも、と動揺させておいて、ストライキをたきつける際には、本当の首謀者たちは後ろに隠れ、この部署を前に立たせました。

ライン停止した工場で、総経理は200〜300人の社員に取り囲まれました。「総経理が1人で来い」と言われ、着いていくと訴えた秘書たちを「いいから」と押し留めて、集まっている社員たちの真ん中に1人で歩いて行きました。

3、40分ほどでしょうか。総経理はたった1人で、中国語の罵詈雑言を浴び続けました。言葉もわからない中、もう吊し上げ状態です。待遇や職場や管理にはまったく関係のない、日本や日本人に対する悪口雑言、過去の歴史についての糾弾など、マイクを持った首謀者たちはひたすら叫び続けました。

じっと聞いていた総経理は、最後にこう言いました。

「皆さんにいろいろ言いたいことがあるのはわかりました。それに関して私も聞く気はあります。ただ、ここではっきり皆さんにお伝えしておきたい。いま私がやっている改革は、正直者がバカを見ない、会社と一緒に挑戦・成長・貢献してくれる社員が報われる会社にするためです。そうしないと会社の未来はない。だから、皆さんが何を主張し、何を要求しても、この方針は変えません」。

ここだけは通訳を入れて話しました。

総経理のブレない姿勢を見て、殺気立って取り囲んでいた社員たちに動揺が走りました。自分たちのリーダーは悪口雑言の限りを尽くしただけだったのに、たった1人で出てきた総経理は「正直者がバカを見ない会社をつくりたい」という大義をまっすぐに言い切った

現場はこれを機に「何かが違うんじゃないか」という空気になりました。

ちょっといい後日談

ストライキがおさまった後、首謀者を解雇し、しかるべき処分を行いました。結局1日半の生産ストップで客先に迷惑をかけたものの、通常運転に戻ることができました。

後日、ちょっといいエピソードもありました。総経理が朝お茶を飲んでいると、面識のない現場の若い女性社員が近づいてきた。「どうしたの?」と声をかけたら、「総経理、これ」と手紙を渡してサーッと去っていきました。学生のラブレターみたいですよね。

中国語がわからないので通訳担当に渡して訳してもらうと、こんなことが書いてありました。

「先日の総経理の話には本当に感動しました。私たちは応援しているので、ぜひ総経理もこのまま頑張ってください」。

ラブレターならぬ応援レターを現場の社員からもらったんですね。

翌年、この総経理は日本の会長から引っ張られ、どうしてもやってほしい仕事があるからと任期途中で日本に戻されてしまいました。が、帰任後の2年間、この拠点は売上も利益も過去最高を叩き出したそうです。後任者も、前の総経理が地ならししてくれたから、その遺産で業績が出ているのだと言っていました。

本当に大変な局面でしたが、ひるまず、感情的にもならず大義を通したことが、社内世論を変える大きなきっかけになったと思います。

Case4 成長期の罠に落ちず

驕る営業を止めるには

イケイケドンドンの成長期の会社には驕りが出ることが多いです。特に営業。自分たちの処遇アップを要求したり、規律に関してマイルールを通そうとしたり、調子に乗って自分たちを特別扱いしがちです。「結果を出してるんだから、ちょっとくらいいいじゃないか」という雰囲気が蔓延します。

ここでゆるめて既得権を作ってしまうと、成長期が終わった後も元に戻せません。大きな後遺症が残ります。

この総経理は経営経験のない物静かなタイプでしたが、成長期の会社に着任すると、上手にさじ加減をして、驕れる営業部隊のコントロールに成功しました。

ポイントは営業部長と管理部長をうまく競わせたこと。二人をほぼ同じタイミングで昇格させ、処遇も多少営業に色をつけただけで管理部長もそれなりに上げ、牽制が効くようにしました。

こうなると営業部長と管理部長はライバルですから、仲良くとはいきません。そこで駐在員は一緒に食事をして間をつないだり、「二人とも信頼している」と言葉で伝えたりしながら、対立が激化しないように舵取りをし、またどちらかが突出しないように抑制していました。

私もときどき食事に呼ばれましたが、常に営業のトップと管理のトップを同席させ、両方にチクチクと牽制球を投げながら、でも自分は二人をすごく信頼しているというメッセージを出し続けているのが、傍で見ていてもよくわかりました。

成長期の速度管理の難しさ

年率30〜50%ものスピードで業績を拡大している時期には、普通は管理が営業を抑えられなくなってシッチャカメッチャカになります。

しかし、この会社では総経理が非常にきめ細かくバランスをコントロールしていた。私が相談されたのも細かい話が多かったです。次の昇給で二人の給与のバランスをどう取るか、数百元単位で考え、常にこれでいいか腐心していました。

多くの会社を見てきてつくづく思いますが、成長期の速度管理は大変な胆力と勇気がないとできないことです。しかし、これをやっておくと、成長のスピードが落ちたときに後遺症を残さずに済みます。この総経理は経営経験がないのにどこでそのバランス感覚をつかんだのか、非常にうまく手綱を握っていました。

Case5 清算時に記念撮影

卒業式のように

ここも古い会社で、30年以上の歴史がありました。事業環境の変化につれて業界的に中国での生産が厳しくなり、時代には抗えないと清算を決めました。

ただ、ここにはいろいろ難しさがありました。勤続20〜30年の女性社員が中心だったこと。所在していた北京が副都心移転などを控え、失業者の増加や労働者の大挙陳情なんてことは当局として絶対に避けたい時期だったこと。少しでも騒ぎになればすべて凍結されてしまう可能性が非常に高い状況でした。

それでもこれ以上は1年も2年も持ちこたえられないということで、清算に踏み切りました。

もちろん周到に準備し、細かい対策もしましたが、私の記憶にないような穏やかな最後を迎えることができました。

最終日、日本人総経理が「今日が最後の出社日です。皆さん、本当にお疲れさまでした」と挨拶すると、社員たちが工場の入口に集まりはじめました。

何をするかと思えば、なんと総経理との記念撮影。あたかも卒業式のようでした。「今まで慣れ親しんだところがなくなってしまうのは寂しいけど、これまでどうもありがとう」と声を掛け合い、会社は長い歴史に幕を下ろしました。

業務能力より大切なもの

正直に言うと、この総経理は、特段強いリーダーシップやマネジメント力を発揮するタイプではありませんでした。心優しくて、それが時として管理上の問題を生んでしまい、本社から責められたこともありました。

しかし、難しい制約条件がある会社の清算で、最後に社員たちが次々に握手したり写真を撮ったりして帰って行くというのは、私も初めて見る光景でした。

その時に思ったのは、この総経理が社員との間に蓄積してきた信頼関係・感情貯金がなければ、この幕引きはできなかっただろうなということです。

経営状況の厳しい会社でしたから、退職の金銭条件もそんなによくはなかった。この光景を見て、信頼の蓄積、人間関係の貯金は、普段の業務では計れないと強く思いました。

次はあなたの番です

ここまで5つのケースを紹介しました。冒頭にも書いた通り、英雄列伝ではありません。失礼ながら、普通に駐在員として赴任してきた人ばかりです。準備万端だったり、経験豊富だったり、特殊なスキルを持っていたりした人はいない。それでも現地をしっかりと動かして帰任していきました。

皆さんも赴任するエリアによっては、社内に駐在員が自分しかいないとか、周辺に日系企業がほとんどないとか、どうしても孤独や孤立を感じることがあるかもしれません。

でも、視線を世界に向けたら、決して孤独ではありません。同じようなことを考えて悩んだり、腹をくくって取り組もうとしたりしている人はいます。また、役目を終えて日本に帰れば、自分を出迎えてくれる人たちがいるはずです。

どうか意を強くして、気が合う人、同じような目線を持っている人たちとつながりながら、それぞれの目の前にある課題を動かしていってください。

今日のひと言

いまの自分のままで現実は動かせます

いまの自分そのままで、直面している現実を動かすことはできます。必ずやり方があるはずです。

無力感・虚脱感に飲み込まれず、放心状態に陥らず、抱えている課題に向き合ってほしいと思います。1人でつらいときには、いつでも声をかけてください。

YouTubeで毎週、新作動画を配信しています。
【中国編|変化への適応さもなくば健全な撤退】シリーズは、中国/海外事業で経営を担う・組織を率いる皆さま向けに「現地組織を鍛え、事業の持続的発展を図る」をテーマとしてお送りしています。

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