2024/05/12 沈める記憶

人は記憶を沈めることができる。

例えば中学校の時読んだ本。タイトルは覚えているけど、内容自体は定かではなくなってしまう。現生活において、必要な知識では無いからである。それを読んで動いた感情や、状況、タイミングもおそらく覚えているものは少ないだろう。人生を変えた本がある、とタイトルを言っても結局何にも思い出せないというのがオチだ。

例えば夜通し遊んで笑って過ごしたあの日の楽しい日々のこと。昨日、一昨日と過ぎるごとに新しい知識や経験に埋没し、あのときは楽しかった。としか思い出せなくなる。そして年月が経ち、そのことすらも思い出せなくなってしまう。

悲しいことかもしれないが、私を守ってくれていることは確かである。

過去の失敗、怒り、悲しみ、恥。それらを今日までしっかり覚えていて、延々と思い出してしまうのならば、このあとまた同じ事が起きてしまったらどうしようとその事ばかり考えてしまい石像のように動けなくなる。

だから私は、思い出せないということには肯定的だ。思い出せないければ新しく始める恐ろしさはあるが、動くことはできるからだ。

しかし思い出せないということは完全に忘れたというわけではない。先程も書いた通り、新しい知識や経験に埋没しているのに過ぎないのである。ただ、完全に思い出すというのは不可能ではある。生きている限り、時間が進む限り、劣化からは逃れられないからだ。

引っ張り出すにはきっかけが必要である。これは結構単純である。

引っ張り出したい過去の一番覚えているものから連想していけば良いのである。ただ、方向性を決めておかないとドツボの記憶にハマったり、脳が勝手に違う記憶と結びつけて整合性を取ろうとする。
特に負の部分だとそういう事が多い。なかなか正の部分で結びつけたり解釈したりするのは難しい。生存本能的に負の部分を結びつけるのは、危機回避につながる。

私は臆病なので、過去を思い出す手法がわかっていても実行しないようにしている。思い出せない記憶を埋没させたまま、とにかく前を見ようとしている。そう心掛けないと過去ばかり見てしまうからだ。

とりあえずこうやって書くことによって、過去を置いてけぼりにして発散することに努めている。一度出力してしまえば、思い出す事も少なくなる。

今この瞬間も記憶を沈めるために、今日も私は書いている。


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