2024/04/29風呂上がりのエウレカ

嵐のような静けさか、それともこのまま凪いでいくのかわからないがとりあえずここに在ることだけは記す。

以前やれていたことがハタと出来なくなってしまい、遂に自分も歳なのかと思いに耽っていた。しかしまだまだ若年層。こう思っているうちにもまた時間が過ぎて行き、また同じ事を考えるんだろうなと目を閉じて思う。なんてことはない、一時期のハイとローだろう。またやりだしたら止まらないだろう。

現に数週間前は飯が食えない、本が読めない、YouTubeさえも楽しく見れていない、なんだこれはと混乱し、感性が鉄にでもなったかと嘆いていた。だが今は問題無く楽しめている。散歩も再開して景色や季節の代わりを感じながら時間過ぎるの早えなあと独りごちる事さえある。あと、ちょっぴりのパチンコも負け続けではあるが再開している。これはあんま良く無いかもしれないが。そうやって楽しみを取り戻して行けている気がするので、近々人との会話もそれなりにこなせるようにはなるんじゃないかなと楽観的に考えて一つ一つをマイペースに取り組んでいる。とにかくまあ、色々考えたりボーっとしたり緊張したりホッとしたりしながらようやく日常と言えそうなこの生活を乗り切っていっている。さて、給料日が楽しみだ。

話は変わるが、先程風呂を上がる最中に思い出したことがある。今は仲が良い友人と夜になるとぶっちゃけた話をする場が出来ると思うが、その時に私に向けた一言があった。
「なかなか心を開いてくれないから、興味がないのかなと思った」
グサッときた。何気なく言われたからかなり。実際図星だったし、私はそれほど人に興味がない方だ。というか人間自体好きだけど嫌いという大きな矛盾を抱えているので、初対面から敵意さえ先にある。これ自体は自分を守るための防衛反応だからまあ仕方無いかと自分は思っていたが、ここまでとはとその時思った。私の心のガードは自分でも思っている以上に硬いようだった。確かに思い返してみると、何らかの「心開いてもいいかも」レベルに達していないと素っ気なかったりする事がある。とはいっても皆そんなもんじゃあないのかって思っているんだけれど。

この言葉を思い出したきっかけは、新しい会社に行き来して2週間、会社で私の歓迎会なるものが開かれるというその時だった。無論参加しないという選択肢は無かった。こういう会社の懇親会やら飲み会やらは正直苦手で、大抵おもんないという先入観が前に出てしまう。気心知れた人達とプライベートで飲むのなら大歓迎なのだが。
それで、会社の同僚と上役で歓迎会に行く最中にいつも隣の席に居る同僚に「俺達もう友達ですから、ね!?」という事を言われて、肩を組まれた。
いやいや、何を仰る兎さん。ビジネス会話しかしていないのに友達なワケ無かろうて。私は思わず「は、はァ、じゃあそういうことにしときますか」とやんわり拒絶したような事を言ってしまった。俺達友達だよなって素性も知らぬ人間に言われるのは結構気味が悪いもので、背筋が寒くなってしまった。いやまあ彼なりの気遣いだったのかもしれないが。
その後なんだかんだ思った通り面白くならなかった歓迎会から帰って、家でタバコとお酒を楽しんだ後にフッと上記の言葉を思い出した。
「なかなか心を開いてくれないから、興味がないのかなと思った」
やっぱり合わせて友達言うとけば傷にもならんかったのかなとか、こちらのガードが硬すぎたのかなとか考えた。でもまあ、悪い気がしたってことは何かしら作為的過ぎて嫌ッ!てなったのかもしれない。こっちはこっちのガード下げるペースがあるから、噛み合わなかったのは仕方ないととりあえず一人でその日は納得した。

それで随分前の事と最近のことを繋げて、今日のお風呂上がりにまた思い出したわけだ。お風呂に上がると神経がどうたらこうたらでひらめきを得るみたいなのがあるのが、今日はそれが出たのだろう。まったく、良い迷惑だ。迷惑ではあるけれど、心理的ガードをもうちょっと下げる練習でもしたほうが良いなあと思うきっかけにもなったし、これはこれでいいかとなった。こうやって文章を書くきっかけにもなったのだから。

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