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桃太郎リマスター 供養の第十回    新世界

第9章は、古事記や日本書紀を知っている方は「なにこれ?」と感じたかも知れません。古事記では倭建命(やまとたけるのみこと)の出雲武(いずもたける)征伐の話ですし、日本書紀だと崇神天皇記に出雲振根が弟の飯入根を「勝手に神宝の刀を朝廷に貸し出した咎」で恨み、斐伊川で斬り殺した事件の記載があります。この出雲振根は崇神天皇の命により吉備津彦と武渟川別に討ち取られます。

吉備津彦はイサセリヒコのこと、武渟川別は古事記だと建沼河別命(タテヌナカワワケノミコト)と記載されていて、これはワケノミコのことです。

個人的には、この場面と「出雲の国譲り」の場面が重なります。国譲りの際に、大国主命(おおくにぬしのみこと)は、二人の息子を失っているのですよね。

物語は中盤の転機を迎えています。
ある意味で、やっと「桃太郎」のストーリーの骨格が見え出すとでも言いましょうか。今日の十章と明日の十一章が中盤の山場かもしれません。
もっともマガジンを読んでくれた知り合いの過半は理解不能と振り落とされてしまっています(>_<)
そんな分かりにくいストーリー作りをしていては、デビューは無理ですね(:_;)

イラストはローマ重装歩兵の密集隊形です。表題写真のような密集隊形をつくることにより、いかなる攻撃も受け付けないのです。

ローマ重装歩兵2

改めて、登場人物一覧を載せます。

イサセリヒコ・・・・五十狭芹彦、比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)。第七代・孝霊天皇の息子。ミマキの大王の大叔父。
ワカタケル・・・・・・稚武彦、稚武彦命(わかたけるひこのみこと)。イサセリヒコの異母弟。
ミマキの大王・・・・御眞木大王、御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)。第十代・崇神天皇。
オオヒコ・・・・・・・・大彦、大毘古命(おおひこのみこと)。越道=北陸方面の遠征指揮官。第八代・孝元天皇の皇子。ミマキの大王の叔父。
ワケノミコ・・・・・・大彦の息子、崇神天皇の従弟。東海方面の遠征指揮官。
イマスの王・・・・・・彦坐王(いますのみこ)、王弟。崇神天皇の異母弟。
タタスヒコ・・・・・・彦坐王の息子。丹波方面の遠征指揮官。後の丹波道主命。

ヨモロヅミコト・・世毛呂須命。出雲の国主。祖先神に素戔嗚尊(すさのおのみこと)。大国主神の子孫。天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)の所有者。
イリネ・・・・・・・・・・ヨモロヅミコトの息子。
フリネ・・・・・・・・・・ヨモロヅミコトの息子。ミトラ教の信者。

ササモリヒコ・・・・楽々森彦(ささもりひこ)イサセリヒコ配下の知恵者。いわゆる軍師役。

太郎・・・・・・・・・・・・猟師ヤマガの息子。

温羅・・・・・・・・・・・・オルランド、オーラとも。ローマ兵兄弟の兄。
王丹・・・・・・・・・・・・アントニオ、トーニオとも。ローマ兵兄弟の弟。
ミリウス・・・・・・・・ミトラ教の副神官。
阿曽・・・・・・・・・・・・ミトラ教の信者を父に持つ協力者。

伊邪那岐命・・・・・・いざなぎのみこと。大八洲及び八百万の神々の創造神でもある。男神。
伊邪那美命・・・・・・いざなみのみこと。大八洲及び八百万の神々の創造神であり、女神。国造り半ばで神避る(かみさる=神様が亡くなること)。

十、新世界

太古の昔、男神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と女神である伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神が契り、八百万の神々を成し、国造りを成されたと伝わる。
その途上にて火の神を成したところで、伊邪那美命(女神)は神避りなされた(かみさる=神様が亡くなること)。
伊邪那岐命(男神)はたいそう悲しまれたが諦めきれず、遂には黄泉の国へ伊邪那美命(女神)を探しに行くのだ。
だが、迎えに行ってみると伊邪那美命(女神)は既に黄泉の国のものを口にしたため帰れないと言う。更に、どうにか出来ないものか他の者に相談に行くから待っていて欲しいとも言う。
しかも「待っている間、決して覗かないように」と条件をおつけになる・・・・
言われるままに伊邪那岐命(男神)は待つことにするのだが、幾ら待っても誰も返事を持ってこない。不審に思った伊邪那岐命(男神)が覗いてみると、そこには腐った身体に蛆が湧き、穢れたものを口にする伊邪那美命(女神)の姿があった。
伊邪那美命(女神)は伊邪那岐命(男神)に気づくと「見たな!」と恐ろしい形相を向ける。そして「よくも恥をかかせたな」と襲いかかってくるのだ。
伊邪那岐命(男神)は恐ろしさに逃げ出し、追ってくる伊邪那美命(女神)が黄泉の国から出てこられないようにと黄泉比良坂に千曳の岩を置き、その道を完全に塞いでしまう・・・・・・・
「共に国造りのために契りあった仲だというのに、その私にあなたはこのような仕打ちをするのか」と伊邪那美命(女神)は千曳の岩の反対側でお嘆きになり、お恨みになり、伊邪那岐命(男神)の国の民を毎日死なせてやろうと誓うのである・・・・・・・

比婆山は、その伊邪那美命(女神)が葬られたと伝わる山なのである。

そんなこととは知らない一行は夜明けと共に進み始める。追っ手は掛けられていないか、掛けられていたとしても、こんな山奥まで彼らが進んでいるとは思っていないのか、追われている気配は皆無であった。
「我々のことは気づいていないかも知れない」というミリウスの言葉は、トーニオによって言下に否定された。
「オーラの遺体がなくなっている以上、教団包囲戦から逃げ出した者がいるということは連中に知れている」
「確かに、死んだ人間が自力で立ち去るはずはない。ならば誰かが運び出したという推測が成り立つ。それぐらいは出雲の奴らにも分かると考えなければならないな。
しかし、まさか亡くなった人間を背負って逃亡するとは、連中にとても想像できないだろう。ましてやその目的は知りようもあるまい。
普通に考えれば、死体をどこかに葬り、その上で逃げたと考えるはずだ」
「出雲を追われたら普通はどこへ逃げる」
「大和は同盟相手であるから、東は危険であろう。
やはり西方の熊襲か、山を越えての南の吉備になるであろう」
「つまり追っ手が掛からないとは限らない訳だ」
その言葉に思わずミリウスは後ろを振り返った。
「先を急ぐ訳が分かるであろう。我々はこの倭国にあってはどうしても目立つ存在だ。人気のない場所を急いで進んでいかなくてはならない。
足場が悪かろうが、道がなかろうが、グズグズしている余裕はない」
言い終わらないうちに目の前に深い谷が広がった。谷底の川の周りには巨大な岩が剥き出しになり、斜面は切り立ちそこかしこで巨石が露わになっている。それは異教徒を拒絶するかのような絶望的な景色だった。
「これを越すのは無理だぞ」とミリウスは呻いた。
「いや、谷底に降りる道を探すのだ。なくても崖を降りるしかない」
そう言うとトーニオは鎧を外し、ミリウスの持つ葛籠を受け取りその中に入れた。そして、二人分の鎧が入った葛籠をオーラの遺体に括り付け、それを自らで背負った。
「泣き言を言っている暇はないぞ」
そう言って阿曽の方を見たが、その女は首を振って自分に預けられた荷物をしっかりと握った。


トーニオとミリウス達一行が崖で悪戦苦闘している頃、ようやく出雲ではオーラの死体が消えていることと、もう一人のローマ兵の死体も見つからないことに気づいた。
しかしヨモロヅミコト(世毛呂須命)は「捨て置け」と言って追っ手を掛けることはしなかった。総神官が教団内にいたはずだということと、誰も逃げ出せずに死んだことで十分だと思ったのだ。
「しかし」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は懸念を伝えた。
ローマ兵の兄弟が片割れでも生き残っているならば、復讐の誓いを立て、今後付け狙われないとも限らないではないか、と。
「例え、ローマ兵が復讐に来ようと、それはわしの命の問題でしかない。出雲のこととは関係ないことになる」とヨモロヅミコト(世毛呂須命)は返事した。
「どういうことです?
ここに至って国主様には跡継ぎがおられない。国主様の危険は出雲国の危機を意味しますぞ」
「わしは国内にこのような乱の芽を育つに任せ、息子のことも好きにさせてきた。
その結果がこれだ。
罪もなく、ただ異教の神を信じただけの出雲の住民を殺すことになり、二人の息子も失うことになった。
これでは先祖に顔向けも出来ない。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)に始まる偉大な祖先に対し申し訳が立たぬ。
そこでだ、出雲の治政は大和にお任せしようかと思う」
「早まったことを申されるな」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は諫めようとした。
「いや、これはよくよく考えてのことじゃ。
昨日のミトラ教団攻めは自らの最後の務めと覚悟の上で指揮を執ったのじゃ。
この決心を変える気はない。
ただ、大国主神を始めとした先祖への信仰を許され、祖先を祀り続けられるようにしていただきたい。それさえ叶うのならば、出雲のことは天照大御神の御子孫にお任せしたい。
かつて道を分かった神が再び協力し合うということじゃ。我が望みは大国主神を信仰することを出雲の民にお許しいただくことだけ。我が身の残りの時間は祖先を祀ることだけに捧げたい」
大変なことになった、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は悟った。
慌てて「私の一存ではかようなことを了承することは出来ませんぞ。大王に急ぎの使者を立てます故、今しばらくお待ちいただきたい」と答えるのが精一杯であった。
早々に国主からあてがわれた部屋に戻ると考え込んでしまった。
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)に依頼されて、異教徒から息子を取り戻す手伝いに来た。計画ではローマ兵の殺害こそ必須であったが、少ない死者しか出さないつもりでいた。ところが、異教徒の方でもヨモロヅミコト(世毛呂須命)の跡取りを殺害する計画を立てていたため、イリネを守れなかった。結果としてヨモロヅミコト(世毛呂須命)は二人の息子を失うことになり、しかも教団総攻撃の指揮まで執り、多くの死者が出た・・・・・・
そして今、イサセリヒコ(五十狭芹彦)が大王に出雲を差し出す・・・・・
大王は、イサセリヒコ(五十狭芹彦)が大和の勢力圏を再び広げることに感心するであろうが、それは失敗による成果に過ぎない・・・・・・
失敗による結末で、大王から恩賞をもらったり、覚えめでたくされたりするのは、ヨモロヅミコト(世毛呂須命)に申し訳が立たぬし、何よりも自分の面目が立たない。周囲からもどう受け止められることになるか・・・・・自分の立場がないではないか・・・・・・
失敗により、名誉を増したり恩賞をもらったりするのは却って恥でしかない。
傍らにはササモリヒコ(楽々森彦)が控えていたが、彼はイリネを目の前で殺されてから無口であった。
「ササモリヒコ(楽々森彦)よ。まだしばらく帰れそうにない」
そう彼が声をかけると、ササモリヒコ(楽々森彦)は一息すってから意を決したようにイサセリヒコ(五十狭芹彦)の目の前に座り込み頭を深々と下げた。
「イサセリヒコ(五十狭芹彦)様、この私目の拙い策にてご迷惑をおかけしております。
拙者、どのような償いもさせていただく覚悟にございます。
我が首を落とすなり、我が身をヨモロヅミコト(世毛呂須命)様に差し出すなり、好きなようにして下され。このように役立たずの頭など、コロリと落とされてしまった方が清々いたします。
申し訳ございませんでした。
ササモリヒコ(楽々森彦)、一生の不覚でございました」
「お主は自信満々で、私の心配などどこ吹く風と言う態度であったな。
だが、最終的には失策というものはそれを採用した側に責任があるのだ。おまえの首を落としたら、私も償いに腹を切るかだ」
「そのようなへ理屈で私のようなつまらぬ者を困らせないで下さい。
いつでも償いをする覚悟に存じます」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は考え込んだ。もう一度、このササモリヒコ(楽々森彦)に相談してみるか、と。
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)からの申し出についての事情を話すとササモリヒコ(楽々森彦)は目を輝かせた。
「それは難しゅうございますな。
しかし、イサセリヒコ(五十狭芹彦)様のお気持ちはお察しいたします」
「わしの立場は微妙ながら、責任ある対応をしなくては、ヨモロヅミコト(世毛呂須命)様の思いに対し失礼になるであろう。
どのように大王にご報告するか、思案するところだ」
「案ずるより産むが易し、という言葉もございます・・・・・」
「また、おまえはそのようなことを言い出すのか!」
「・・・・恐縮でございます。しかし、真面目に考えているところでございます」
「おまえを使者として大和に送り出すから、道中よくよく考えるのだぞ」

出雲の側は教団が滅んだことで一段落と言うところであったから、追っ手については真面目に検討しようという機運はなかった。ヨモロヅミコト(世毛呂須命)は総神官が逃げおおせなかったのなら、ローマ兵が一人だけ逃げたとしても、大したことにはならないとも考えていた。それ以上に国譲りのことで頭が一杯であった。


そんなこととは知らないトーニオ達は必死の思いで大岩が剥き出しとなった谷を降りきり、谷底から反対側の崖を見上げていた。追っ手のことも気になっていたが、オーラが黄泉の川を下りきるまでの時間内に比婆山まで行かなくてはならない、という時間的制約が焦りになっていた。
「良いか、崖を登って一休みしたら今日中にあの山の麓まで向かうぞ。明日の夜までに『死者の儀』を執り行えなければ、全員の命はないぞ」
トーニオは気にしていないようであったが、ミリウスはオーラの死体から発される腐臭が気になりだしていた。明日の夜までに比婆山にたどり着けなければ、匂いは耐えがたいものになるであろう、と。
日本では仏教伝来後に三途の川として知られる「黄泉の川」は、ペルシャの宗教を起源とすると言われている。ギリシア世界に伝わってからは「アケローン川」などと呼ばれ、「嘆きの川」とも言われる。どちらにせよ、「この先は後戻りできない」という死後の回帰不能点を意味する。しかし、古代エジプトにはそのような死生観はなかったらしい。そのような観点から類推すれば、時間の経過だけならば、死者を蘇らせる「死者の儀」の妨げにはならないはずである。しかし、彼らはペルシャを起源とする「ミトラ教」の信者であるし、「嘆きの川」はギリシアにおいてその名を得ている伝説である。ミリウスもトーニオもローマ帝国というギリシア文明の影響を受けた世界で生きてきたので、その発想に束縛されてしまうのだ。
彼らは黙々として崖を登り、最後にミリウスが崖の上に辿り着いても声を発する者はいなかった。誰もが、すっかり疲れ切ってしまっていたのである。
意外にも、案内人の女・阿曽の方が荷物を背負っているというのにミリウスよりも足腰は達者だし、崖を登るのにも健脚強靱なところを見せていた。
「女連れと心配だったが、ミリウスよりも頼りがいがあるぞ」とトーニオが笑顔を見せると、阿曽はそのラテン語が分かったものか、疲れた顔で微笑みを浮かべた。
ミリウスはすっかりへばっていたし、女にしては健脚な阿曽にしてもそれほど無理は出来そうにない、とトーニオは冷静に判断していた。森の深さは夜間の道行きを一層危険なものにしている。疲労は判断ミスや余計な事故を招くことになりかねない。
そういうトーニオ自身も疲労困憊の態である。
暗くなる前に休める場所があったら、早めに休息を取ることを優先し、明日に掛けるしかなさそうだった。


その頃、太郎は山の中で父との待ち合わせ場所へと一人で向かっていた。
腰には罠猟で捕らえたウサギが何羽かぶら下がっていた。背中には弓と矢筒を背負い、腰には鉈をぶら下げている。ちょっと見たところでは一人前の猟師のようである。
父は播磨の山中より西へ進んだ地点で太郎を待っているはずだった。
「数日前に、大熊と出くわした場所から遠くないな」と太郎は気づいた。


翌日のトーニオ達の道行きは順調であった。昼過ぎには比婆山の裾野と言っても良さそうな場所に出た。
ミリウスは元気ないが、あと数刻の山登りには耐えられるだろう。阿曽にしても疲労を隠しようもないが、体力的にはミリウスよりかは余力十分であり、前向きな気力に満ちて見える。最初のうちトーニオは「どこで女を捨てていくか」などと考えていたものだが、荷物運びを担ってもらえたのだから、ミリウスよりも遙かに役に立っていると言える。
だが、山頂に着いたなら、そこから先は総神官ミリウスが主役になる。
トーニオは考える。彼が失敗したなら、生きて山を下りる者はいないであろう・・・・・・

夕闇の中、比婆山の頂上と思しき場所に到達した。目印になるようなものはない。ただ、彼らがいるのは、どうやら最も高い場所らしい。トーニオは剣を使って藪をなぎ払った。そして、その場所に自分の兄オーラを安置した。
「さぁ、全てはおまえの望み通りだ。
高い山の頂上、誰も邪魔立てする者はいない。これからは望みの通りに暗くなっていく。
その『死者の儀』の妨害になるものはない。
ミリウス、おれの兄を生き返らせてくれ」
その言葉で疲労困憊のミリウスの心に恐怖が沸き立つ。これから自分が執り行う儀式は人間にとって許された行為なのだろうか、と。
今になって思えば、なぜ大神官はミリウスにハオマなどという秘薬を渡し「イムホテプの秘術」などを教えたのか。そんなものを覚えても、自分にその術を施すなど無理な話だ・・・・
なぜこれまでにそのことを考えてこなかったのか。
合理的に考えれば、ミリウスの自尊心を満足させるためだ。このような遙か世界の東の果てまで、苦難の旅を誰かにさせるという困難さを考えれば、それに見合う報償が必要になる。栄達と名誉心をくすぐるための秘術の相伝?
であれば、これは本物なのか、それとも疑似餌のようなものに過ぎないのか。
疑似餌ならば何も起こらず、後はトーニオの手で自分も阿曽も殺されるだけだ。
或いは、大神官が任務の苦難を考え、最後の最後にどうしても必要な者に秘術を尽くしてでも目的の達成に協力させようと授けられたものなのか。
本物である場合には、これを本当に必要とした場面は遙か前にあったはずだ。ここでオーラを生き返らせても、布教の助けにはならない。
倭国に来て以来、使節団の中での彼らの地位は高くなる一方であった。
確かに少数の使節団が生き残るのには武力が必要な場面が多かったかも知れない。それでも武力に訴えることなく、もっと平穏な活動が出来ていれば、出雲に在っても全然異なった性格の宗教として大国主神の信仰と折り合って行けたかも知れないではないか。武闘派の二人が倭国でのミトラ教を、まるで一神教のような非寛容な神にしたのだ。
もっと前に、自分と考え方を同じくした者を救わなくてはならなかった。最早手遅れか・・・・・
いや、大神官達は自分を手のひらの上の駒のように操っているに過ぎない。このハマオやイムホテプの秘術も、そうやって自分を操るための小道具なのだ。
つまりは偽物のはずだ。
何も起こらぬ代わりに、自分には何の責任もない。ただし、術式の後には殺されてしまうのだ。
その時、阿曽という娘の姿が目に入った。
彼女は何の責任もなく、ミトラ教に関わったばかりに殺されてしまうのか?

トーニオが火を起こし、オーラの遺骸が横たわる四方にロウソクを灯した。これは倭国にはなく、晋から持ち込んだ残りの最後である。
ミリウスは暗唱した通りの呪文を唱え、おもむろに懐から青銅製の珠を取り出した。定められた呪文を唱えながら、指輪に付いた飾りを外すとそこには鋼製の針が付いていた。それを決めてある窪みにはめ込み、力を入れると針が表面を突き破り、カチリと音が鳴る。
「オーラの口を開けよ」
命令にトーニオは、剣の先を使って口をこじ開ける。
その開けられた口の上で珠を逆さまにすると、ミリウスは再び上側に針を当てた。カチリと再び金属音がすると、珠の中から液体がこぼれだした。液体はロウソクの明かりで赤く輝きながらオーラの口の中に流れ込んでいく。珠の中の液体がすっかり流れ落ち、珠が空になるとミリウスはそれを脇に置いた。
再び彼はその残りの呪文を唱えだした。
そのままロウソクの炎が揺らめく中をミリウスの声だけが響いている。しかし、横たわるオーラは少しも変わることなく身を横たえたままだ。
「何も起こらないではないか」とトーニオが口にした途端に四つのロウソクが同時に消えた。
と、どこからか生暖かい風が流れてくるのが感じられた。そのうちに顔に水滴が落ちてきた。雨が降り出したのだ。
雨は徐々に強くなってくるが、ミリウスの呪文は終わらない。
ミリウス自身はロウソクの火が四つ同時に消えたことで恐ろしさを覚えていた。
「これは本物だ!」と。
雨足が強くなり、衣服を通して身体が濡れ始めたが、最早呪文を止めることが出来ない。最後までやらなければ、自分に災いが返ってくるという気がしてならない。そして、遂に最後の一章節が口の端に登った。それと共に上空に青い稲光が煌めきだした・・・・・・いや、うなりと共に光っているのは比婆山の地面の方だった。空の雲が、その地面の光に照らし出されるのだ。
ミリウスが呪文を終えた瞬間に地面がうねったのをミリウスもトーニオも感じた。それと同時に地の底から轟くような声が響き渡った。
「願いは聞き入れられたぞ」
ミリウスもオーラも何のことだか分からなかった。しかし、阿曽はその声が聞こえると歯の根がなるほどガタガタと震えだした。
「なんだ、今の声は何だ!声であったな?」
「分からぬ」とミリウスが言うと「『願いは聞き入れられた』と!」と阿曽がラテン語で叫んだ。
次の瞬間に大地から青白い光が閃光の様にほとばしり、一瞬だけ昼の光よりも眩しくなる。その光は四方に一瞬だけ走り、広がっていったが、瞬く間に元の漆黒となり、雨も止んでいた。
何があったのだ、とミリウスもオーラも訝しんだが、それもそれほど長い時間ではなかった。
四つのロウソクに再び明かりが灯り、それと共にオーラの目が開いた。その目は爛々と赤く輝き、その吐く息は青白く光っていた。
「何があったのだ」
その声は確かにオーラの肉体から発せられた声であったが、地の底から響くように恐ろしく聞こえた。
「オーラか」
「なぜ、そのようなことを聞く。おれがオーラであることは間違いようのないこと。
ここは一体どこなのだ。なぜ誰もいないのだ」
トーニオは教団に出雲が攻撃してきたことと、斐伊川で息絶え絶えのオーラを見つけた話をした。
「なるほど。おれは死にかけていたという訳だ。
そして、おまえ達がおれを黄泉の国から呼び戻したというのか」
「そうだ。アケローンの川を下りきってしまう前に、呼び戻さねばならないと思ったから苦労した」
その言葉にオーラは赤く輝く目で睨み返してきた。
「おれはそんなことを頼みはしない。おれが今欲しいのは人の生き血だけだ・・・・・・!
分からないのか。おれの肉体は死んでいる!
この身を保つためには人の生き血が必要だ!もう既に人の血に飢えている。
身体は渇きを癒やそうと生き血を求めているのだ!」
トーニオとミリウスは恐怖に互いの目を見合わせた。そして、阿曽の方を見た。
そんな二人の思考を遮るようにオーラの声が響いた。「女は役に立つ」
その声にミリウスが震え上がった。
「そうだ。
ミリウス、おまえのおかげでおれは生を受けた」
「そうだ、私のおかげだ。
私がイムホテプの秘術を使わなければ、おまえは生き返らなかった。
おまえは私に感謝しなければならない」
「ミリウス、分かっていないのはおまえだ。
おれは生き返ったのではない。これはおれの望んだものではない。
これは忌まわしい呪いだ。おかげでこれから先、何年もおれは人の生き血を啜って肉体を維持していかなくてはならなくなるのだ・・・・自分の望みとは関係なく・・・・」
「私が望んでやったことでもない。
おまえの弟が切実に望んだからだ」
「そんなことは分かっている。トーニオは肉親だ。血を分けた兄弟だ。
おれに死んで欲しくない、出来るのなら生き返らせたい、という願いも自然な感情ではないか。
それに、おれが弟を殺したくないというのも、まだおれに残された数少ない人間的な感情だ」
その言葉を聞くや否や、ミリウスは駆け出した。脱兎の如く、その場から離れようと走り出した。あれ程までに疲れ切っていたはずだというのに。
ミリウスが茂みに駆け込むと、オーラは一瞬目を閉じた。次の瞬間、カッと真っ赤な目を見開くと、赤い閃光がほとばしり、ミリウスの行く手にその光の滴がこぼれ落ちるや炎を上げて燃えだした。
総神官は炎の前に立ち尽くした。何がどうなったか分からないが、逃げなくてはならない、と思う間もなく、目の前の中空にオーラが姿を現した。背中から炎の明かりに照らされているというのに、その真っ赤な眼光は眩しいほどに怪しく煌めいている。
「ミリウス、最後に自らの罪をあがなえ。おれは更なる罪を重ねていかねばならないのだから」
「嫌だぁ」と恐怖の叫びを上げてミリウスは火とは別の方向へ逃げだそうとしたが、途端に身体が動かなくなった。オーラに背を向けて足を動かそうとするのに、一歩も動かせない。気づくと自分の体が浮き上がり、目に見えない力でオーラの方に引き寄せられていく。
「助けてくれ!」
「おまえの願いを聞き入れる者は誰もいないぞ」
ミリウスは首根っこをオーラの手で掴まれた。オーラの指の爪は鋭く長く伸びており、その手に力が入ると血が溢れ出した。と、オーラはそのしたたる血を舐め始め、続いてがぶりと首筋に噛み付いた。溢れる血と断末魔の絶叫、しかし叫びは長くは続かなかった。血が出なくなると、オーラはミリウスの身体を引き裂き、心臓にかぶりつく。見るもおぞましい姿だったが、ロウソクの明かりに照らされた顔は歓喜に満ちていた。
実の兄とは言え、身の毛もよだつ姿にトーニオは顔を背け、阿曽は恐ろしさに目を伏せていた。
オーラはミリウスの体中をしゃぶり尽くすと、その残骸をぞんざいに放り投げた。今やオーラの身体は暗闇の中で炎に照らされているだけでなく、自ら青く光を放っていた。
「女!」
その地響きともつかない声に阿曽は震え上がった。
「出雲には戻れぬ。すぐに万余の兵と戦う訳にも行かぬ。
おまえの故郷に案内せよ」
阿曽は震えが収まらずにいたが、選択の余地はなかった。

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