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野生の思考 第六章「普遍化と特殊化」

面白くなってまいりました。第五章で登場したトーテム操作媒体(オペレーター)を使って、個体識別名、すなわち「名前」という固有名詞の成り立ちについて考えていきます。簡単に現代語訳すると、キラキラネームの呪いについて考えます。

名付けのパターン

固有名詞とは、その個体を識別するための記号でしかないのか。そうではない。名前には意味がある。オーストラリアの原住民の名前はすべてトーテムの何らかの要素に由来する。バラムンディという魚をトーテムにする集団では「バラムンディが水中を泳いでいて人間を見る」「バラムンディは自分の産んだ卵の周りを泳いで尻尾をふる」「バラムンディは息をする」「バラムンディは目を見開く」「バラムンディは銛を折る」「バラムンディは魚を食べる」などの意味の名前をつけているらしい(日本語訳が直訳すぎて名前感がないけど)。

また、別の部族では、子供の名前を親の状態になぞらえてつけるケースもある。両親が怠け者だから子供は「のらくら」、父親が呑んだくれであれば「酒びたり」、母親が夫にうまいものを食わせないので「けちんぼ」、など。子供に罪はないのに、ひどい名前だ。

だいたいこういうひどい名前を授けるのは、母親ではなく祖母(父方の母、つまり姑)だ。嫁に反感をもった姑が復讐の気持ちで酷い名前をつける、というパターンは昔からあるらしい。

他の名付けパターンとしては、双子の男は「エジュア」、女の子は「エジュアル」だとか、何度も死産したあとに生まれた子供は「ビレニ(墓場ゆき)」だとか、不妊症と思われていた女が子供を産んだら「オンディア」「オンディヌア」など。何かしら条件を満たしたら勝手に名前が付けられるパターンもある。

こうした名前のつけ方は大きく二つのタイプに分けられて、一つは「身分既定の標識」としての名前。長男だから一郎って名付けるようなタイプ。もう一つの名付けタイプは、個人の自由な創作で名前を付けるもの。先に挙げた「のらくら」「けちんぼ」とか、最近のキラキラネームはだいたいそうだろう。

実際にはそんな両極端ではなく、それぞれの要素を合わせた中間のタイプと言える。親の名前から一文字取った、みたいな名前は半分が標識で半分が創作と言えるだろうし、「バラムンディが水中を泳いでいて人間を見る」の後半部分なんかも創作と言えるだろう。

そもそも苗字は親からそのまま引き継ぐので、まさに標識ネームであり、現代版トーテムと言っても過言ではない。中曽根という苗字を引き継げば、元総理大臣とは何ら血縁関係になくても、同じトーテムとして勝手に親近感が湧くのである。

創作ネームの意味

標識ネームは分かりやすい。身分なり家元なり親なり、社会における客観的な立場・分類を示している。一方の創作ネームは何なのか。こんな子供になって欲しいという親の願いなのか? 筆者は次のように断言している。

人間は本当に名付けているのであろうか?
名付けられる人間を使って、命名者自身の主観性を表現しているだけではないか。
名前を与えるという口実でその人間を通して自分を分類しているのである。

つまり創作ネームとは親の価値観そのものである。親の自己分類の手段、親の自己表現として、創作ネームは名付けられている。子供に「酒びたり」という名前を付ける人間は、きっと世の中の全ての人を、酒に浸っているか浸っていないかという分類で見ているのだろう。

自分で自分の名前を付けるハンドルネームなんかは、最も分かりやすい自己分類の例と言える。中島太一という名前は親から与えられた名前であり親の価値観・分類しか分からないが、プロ奢ラレヤーという名前は本人が自ら付けた名前であり、自身の主観による自己分類を表現している。

そうなってくると、どうやって名付けをしたらいいか悩む人も出てくる。そこで「へそ名」という名付けを行っている部族がある。赤ちゃんが生まれたとき、専門家が臍帯をひっぱりながら父方の男名前をつぎつぎに挙げ、つづいて女名前、それから母方の男名前を言い、胎盤が出た瞬間に発せられていた名前がその子供の「へそ名」となる。これは願わしい名前になるよう臍帯の引っ張り方を調整しているようだが、客観的妥当性と偶然性を持ちつつもある程度は自由に名付けを行いたいという気持ちの妥協案として行われている儀式のようだ。

名前から繋がる新たな関係

人間は本名以外にもいろんな名前を持っている。たとえば親族呼称(お父さん、おねえちゃん等)、身分名(社長、係長、町長など)、あだ名(かたわ、左利き、のろまなど)だ。

こうしてつけられた名前は人間を細かく分類するための固有のものだが、同時に、名前は新しい繋がりをもって再統合されていく。違うトーテム部族のものでも、「バラムンディの口」と「くまの口」の名前を持つ者は「口」という共通点から仲間になる。おにいちゃん・おねえちゃんという肩書で一致団結したり、社長だけが集まるパーティーが催されたりする。酒鬼薔薇という犯罪者が有名になれば、全く関係ない榊原さんもイジメられてしまう。

こうやって個別標識であるはずの名前から新しいつながりが生まれるのは、トーテム操作媒体(オペレーター)の分類に他ならない。名前という固有名詞は、全ての分類体系と関連するものであり、切り離すことはできないのである。

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