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毒親による呪われない受験勉強の構造

レヴィ=ストロース「野生の構造」を読み、現代の呪いを解くために今私ができることを考えるレポートです。

毒親による受験勉強の呪い

親が子供に望むことはただ一つ、幸せな人生を送ってほしい、ということだけです。これが根本の呪いです。

種の保存という観点でいえば、別に自分の子供がどうなるかなんて些末なことで、人類皆平和みたいな全体最適を考えればいいはずです。でも、私たち親は、他人の子供を差し置いてでも自分の子供が幸せになってほしいと思っています。例外もあるとは思いますが、これを本noteでの定義とします。

さて、自分の子供が幸せになるにはどうすればいいでしょうか。幸せとは相対的なものなので、平均より上になれば幸せになりやすいと思います。現代社会は資本主義で動いているので、簡単に言えば、お金が平均よりたくさんあれば幸せ、ということになります。

子供の場合は、まだお金を稼いでいないので、代わりに評価指標となるのが学力です。学力が平均より上であれば幸せです。つまり、子供に幸せな人生を送ってもらうためには、勉強させればいいのです。受験戦争の始まりです。

平均の元となる母集団

平均より上を目指すにあたって一番重要なのは母集団です。どんな比較相手を用意して、そこより上だと思うのか。もし東大生の中で平均より上を目指すと、すごく大変です。でもレベルの低い地元の塾の中で平均より上なら簡単に取れるかもしれません。では自分はどのポジションを取りたいか。

受験は全国の学生が相手です。少なくとも全国平均よりは上に行きたい。そのためには、ちょっとハイレベルな塾に入った方がいい。すると、その塾の中でやっぱり平均より上を目指したくなる。すごい上昇スパイラルが形成されます。

最近SNSでは、駆け出しの絵描きさんがお絵かきを頑張っても、すぐ身近に神絵師がゴロゴロいるせいでモチベーションを削がれる、みたいな弊害を言われることが多いですが、インターネットが登場するよりはるか昔から、学問の世界では無差別級トーナメントが行われていたんですね。

特に有名なのは中国の官僚登用試験である「科挙」です。合格すれば莫大な権力と富が手に入るけど、あまりにもライバルが多すぎて、強すぎる。新規が参入するのはものすごくつらい。そこで、受験勉強界隈では、年齢という階級制限を設けて、ある程度同じ環境の人たちで競えるような制度を作りました。親の経済力など、無視できない強い影響力のあるパラメータはありますが、とりあえず年齢で区切って、そこで平均より上を目指せば幸せになれそうな制度を設計しました。

そして、受験勉強に駆り立てられた子供たちは、毎日とても不幸そうな様子で勉強に励んでいます。でも、これは大人になって幸せになるために必要なことなのです。避けることのできない苦痛 = 呪いなのです。

母集団を選ぶこと、子供の持つ無限の可能性

よく、子供には無限の可能性があるといいます。無限の可能性があるのに、どうして受験勉強を選ぶのか。他の可能性、他の母集団はどうして選ばないのか。

これは親が無知であり、そして子供も無知であるということ。我々は何も知らない。無限の可能性のうち、知っているのはせいぜい10個とか、数えられる程度ではないだろうか。マンガ家は儲からない、アイドルはどうせなれない、オリンピック選手は今から頑張ってもなれない、ほら、勉強するしかないんだよ! いい大学に入って、いい会社に就職すれば幸せになれるし、それなら枠がまだいっぱいあるから!

子供だって知識は少ない。ケーキ屋さんになりたい、ピアノの先生になりたい、お医者さんになりたい、自分の知っている範囲でしかなりたいものを挙げれない。じゃあお医者さんになろうか、いっぱい勉強しようね!

無限の可能性があったとしても、それを認識できなければ無いのと同じだ。結局自分が認識できるのは自分の周囲の人間だけであり、その中から母集団を選ぶことしかできない。そして、自分の周囲の人の中で平均より上の暮らしができれば幸せになれるのだ。こうして格差社会が生まれる。

無限を認知するための教育

親と子供だけの世界で閉じると、革命は起こらない。貧しい家庭で生まれたら、貧しい生活の中から母集団を選ぶしかなくなる。友人も貧しい、結婚相手も貧しい、そして自分の子供もまた貧しくなる。

そこを変えるために教育がある。親が見せることのできない、世界に転がっている様々な可能性を見せるため。知らないことを学ぶことで、より広い世界が見えるように。そして、自分の身体特性に見合った、一番幸せな母集団を選び取るために。それが多様性を生み、社会全体を発展させる原動力となるから。

無限を知らないと、子供は結局、親の再生産しかできない。親が農家なので自分もその跡を継ぐ、親が医者なので自分も医者になる、そうやって職業と個人の関係が硬直化すると、無能な将軍が天下を治めて摂政が傀儡するみたいな不健康な歴史を繰り返すことになる。

親が本来教育として子供にするべきことは、価値観の枠を広げてやることだ。まだ君の知らない世界がこんなにある、こんな考え方の人がいる、こんな仕組みでまわる社会がある、いろんな多様性を見せることで、子供の視野を広げてやることだ。それが本質的な教育だ。では、どうして毎日かけ算とかつるかめ算とかやらなければいけないのだろうか。

理論と実践の両輪

学校で勉強することは、世界を理解するのに役立つことばかりだ。長い年月をかけて人間が蓄積してきた英知を、ぎゅっと凝縮して学ぶことができる。こうした基礎理論を身につけることは、社会を知る上で絶対に役に立つ。もし過去の人間の英知を学ばずに、フグ料理の食べ方に興味を持ってしまったら非常に危険なのだ。

でも、理論を学ぶだけでは実感が湧かない。自分の獲得した知識を実践する場が必要だ。実際に、自分の価値観の外側を体験して、学習した内容と照らし合わせて理解を深めること。世の中には不思議なことがたくさんあるけれど、それはどうして起こっているのか、仕組みまで理解できると、より一層面白いと思う。

この現象はとても珍しいことだ、というのを、ただ説明されるのと、自分で知っているのとでは、印象が全然違う。修学旅行で京都のお寺とか見て解説を聞いても、さして印象には残らないけど、自分で歴史を知った上で見ると細部にまで意味を見出だして記憶に残すことができる。

今の受験勉強では、この実践パートが少ないのは確かに問題視されている。いかに子供に実体験を積ませて、学ぶことが楽しいことだと、ワクワクしてもらえるかが非常に重要なことだ。

幸せな受験勉強の構造

子供が自主的に、ワクワクしながら学ぶことができれば、その効率は何倍にも跳ね上がる。だから、そういう新しい教育を施していこう、と努力している人もたくさんいる。でも、現実問題として受験勉強はまだまだ詰め込み型で、どれだけ覚えたかの競争レースになっている。科挙の時代からほとんど変わっていない。

私は、どうやったら子供に勉強の楽しさを教えられるだろうか。自分の過去を振り返っても、そんな勉強が楽しいと思ったことはない。でも、今は自ら進んで「野生の構造」とか読んで勉強をしている。これは何なのか。

自らの実践、体験が積み重なって、世界がたくさん見えるようになった。会社で働き、いろいろな組織の構造を見てきた。でも、社会構造に関する理論の勉強はほとんどしてこなかった。体験ばかりが先行して理論が足りない状態だからこそ、自ら進んで学びたいと思うわけだ。

では、子供にはどんな体験をさせてやればよいのだろうか。これが分からない。キッザニアで職業体験をするのが正しいのか? ディズニーランドで夢の世界を体験するのが大切なのか? 京都や広島で歴史的な建造物を見たら世界が広がるのか? おもしろい理科の実験をやったら勉強したくなるのか?

親の価値観の外側を見せるというのは、とても難しい。だって、それは私すらも知らない世界だから。私自身が未知に飛び込んでいく必要がある。子供は好奇心があって知りたいと思っているかもしれないが、いい大人になると保守的になって外に出るのはおっくうになる。これではいけない。

だから、親は子供と一緒に勉強しなきゃいけない、と言われているのか。それは一緒に算数の勉強をすることではない。一緒に、未知の世界に飛び込んで、体験を通して、理論を学んでいくことだ。それこそが、生涯学習につながる原体験だ。

幸せの定義

冒頭で、幸せとは平均より上にいることだと定義した。それはたぶん間違っていない。でも、本当に幸せな人は、自由にその母集団を選べる力があるはずだ。広い視野を持つことで、いろんな世界を知ることで、自分の置かれた状況を客観視できれば、小さな幸せにも気付きやすくなるし、大きな幸せも見過ごさずにつかみ取れるようになる。

そのために、やっぱり勉強は大事なことで。子供にワクワクしてもらうため、やりたいことをやらせればいい、という言説もあるが、たとえばそれで子供がパチンコにハマったとしたら、やっぱりそれって違う、って思うはずだ。子供は大人以上に知識がないので、一人で広い価値観を習得するのは難しい。そこは親が適切に補助線を出してやる必要がある。子供にやりたい放題させるのではなく、でも正しい方向にやりたいという気持ちを発揮してもらえるように誘導すること、それが親の仕事だ。

今の受験勉強界隈は、補助線の引き方がめっちゃ下手くそで、賢くなれば幸せになれるよ、くらいに中身がないし、実体験を伴っていない。実際に子供の偏差値が上がったところで、子供はどれだけの幸せを感じられるだろうか。

私は毒親かもしれないが、それでも、子供が呪われることなく受験勉強を頑張ろうと思えるように補助線を出していきたい。そのために今日も塩の飽和溶解度の勉強をさせている。めっちゃ嫌がられている。うむ、今日も失敗だ。ちなみに今日の勉強メニューはこんな感じ。

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小4なのに毎日2~3時間は勉強してて、えらいですね。頑張りすぎでしょう。その割には物覚えが悪くて成績に繋がらない。非常にもったいない。

ちなみにこのホワイトボード形式は、娘の勉強スタイルをいろいろ試した中で一番良かったものとして現在採用されている感じです。こんなのいきなり見せられたら拒否反応を示す人も多そうですが、これが娘の身体特性には一番合っているようです。

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そして勉強がおわったら、なぜか刀を作っていました。鬼滅の刃に出てくる、無一郎と義勇の刀だそうです。鞘も用意してえらいですね。何が楽しいのかさっぱり分かりませんが、これが娘の幸せの形のようです。

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