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伊予柑日記 念能力とパッケージ化

(※これは2020年11月のログです)

他人が真似できないような圧倒的な「能力」をもつひとがいる。そういう人に相対すると「戦慄と魅了」するような経験があっておもしろい。そういう人をメディアで拡散すると、エンターテイメントになる(YouTuberとかTikTokerとか)。そういう人と向かい合うと、自分自身の能力が少し解る(鏡)。

圧倒的な能力を持つ人はどうやってそれを見つけたか? 天性の才能なのか? 天性の才能を分解すると、「自分の身体特性として非常に少ないコストでできること」を「長時間やり続けた」がゆえに身につけた何かであるといえる。エネルギーがあるひとは「多少苦手なもの」にもパワーを注ぎこんでモノにすることができる。これが受験エリートだったりするのだろう。

しかし、残念ながら私たちは、そんなエネルギーをもっていない。限られたエネルギーをより面白く運用するには、やはり自分の身体特性を理解して、得意なところに注ぎ込むしかない。「苦手なことをしない」が「あきらめ戦略」で「得意なことを見つける」が「くらがりチャレンジ」「他人という鏡を見る」である。得意なことにエネルギーを注ぐために、動物として最低限を整えるのが「自分をケアすること」や「他人にケアしてもらうこと」である。

そして得意なことをやり続けたことを認めるのが「聞き手」の仕事である。桁外れの何かを見極めて、適切に認めると、安心して注ぎ込むことができる。人間研究所は特に後半の、「苦手と得意」を見つけたあとに、どう注ぎ込み、どう面白くするかという点に特にフォーカスをあてている。

阿吽さんという念能力者の登場で、物語は第二章に入った。裏ハンター試験(天空競技場編・ハンターハンターで5、6巻あたり)のスタート。

能力のパッケージ化

能力のパッケージ化が必要。パッケージ化することによって、能力を『消費』できる状態にする。例えばよたろーさんの味覚の能力は、そのままでは消費できない。しかし、チョコレートやコーヒーの商品としてパッケージ化すれば、ユーザーはよたろーさんの能力を消費できる。消費は贈与にも近い。自分の能力のお裾分け。贈与できるパッケージにしさえすれば、他人がさらに自分の能力を他人に贈与することができる。例:チョコレートをさらに他人に紹介する。販売さいとから買えることを紹介するなどの広がり。

発想の根底にあるのは、能力は能力そのものでは、広がりがない。パッケージ化し、贈与できる状態にすることで、広がりが生まれる。広がりが生まれさえすれば、マネタイズは容易。

だいたい、ここの能力は過剰品質で量産性がない。だから面白いんだけど、それをどうマーケットにするか。見世物小屋になりがち。いまやYouTubeという見世物小屋では量産性が求められる世知辛さ。

スラムをでかくして、スラム内で市場作る方が基本早いとおもいます(そのときのスラムの姿はいまと同じでは無いと思う)。藤井聡太が食えるのは強いからじゃなくて「たまたま将棋にむいてた」だけ。囲碁なら終わってた。スラムにいる人は、基本囲碁やってる。

唐揚げ作るのがうまい人を生かすには
1. 唐揚げ作るのがうまい人
2. その唐揚げをコスト、品質、ボリュームなど一定にした弁当にする人
3. その唐揚げ弁当を駅前に置く人
が必要です。ゲスナーさんが言ってるのは2.のパッケージ化で、パッケージはまだ商品ではない。値付けをして客に届ける商品化がいる。で、パッケージ化のひとは、妖怪と市場の間を取らなきゃいけないので、1番能力がいります。

単発1000円でいいから50人集めるのがはじまり。これを1人でできない奴は街から草原にでてはいけない。スライムに殺されて終わり。

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