贈与論の振り返り

贈与とは何か

贈与とは、何かをあげること。
なんでもいい。高級なメロンでも、安いバナナでも、優しい笑顔だけでも、あげるものはなんでもいい。

何かをもらった人は、お返ししなきゃいけない、という気持ちになる。
これは負債のような、呪いのようなもの。「ハウ」と呼ぶことにする。
何かを贈与されたとき、同時にハウも受け取ってしまう。
ハウは、いつかお返ししなければいけない。

バレンタインデーにチョコをもらったらホワイトデーにお返しする。
誕生日プレゼントをもらったら、相手の誕生日にプレゼントをお返しする。
贈与で大事なのは、このハウのやり取り。
さらに言えば、ハウを受け取ってから返すまでの時間だ。

贈与はお返しをもらうのが目的ではない。
お返しが大きくなるのを期待するのであれば、それは投資だ。
贈与の本質は、お返しをもらうまで両者の間に関係性が保存されること。
お互いがハウの絆によって結ばれること。

ハウの力は強力なので、ハウを持ってる人はかなり強く印象に残る。
友達からゲームを借りパクした人は、ハウも同時に受け取って、いつまでも「返さなきゃなぁ」という気持ちを抱き続ける。もはや金額とかどうでもよくても、思い出としてその友達のことが強く残り続ける。

ハウは、必ずしも相手に返さなくてもいい。
別の人に渡してもいい。
苦しいときに生活支援してもらったら、自分も苦しんでる人を助けてあげようと思って活動したりする。
親から愛情をもらって育てられたら、将来は自分の子供に対して愛情をもって育ててあげたりする。

結局は、受け取ったハウが原動力となって行動が生まれる。
相手への恩返し、社会への恩返し。
そういった関係性を作るのが贈与。

良い贈与とは

贈与するものはなんでもいいが、相手の欲しいものであればあるほど、ハウは大きくなる。なるべく相手の必要なものを、必要とするタイミングで渡したい。

もらえて当然と思っている人にはハウが発生しづらい。
優先席を譲ってもらって当然と思っている老人、神様のように丁重に扱ってもらって当然と思ってる客、奢ってもらって当然と思ってる奴。

誕生日にプレゼントをもらえるのは予想できるので、あまりハウが大きくない。まぁ、そうだよね、って思われてしまう。同じモノでも、相手の予想しないタイミングで渡すと効果的になる。誕生日でもなんでもない日に、突然プレゼントを渡されるととても驚くし、戸惑う。ハウが大きい。

ハウが大きすぎると、怖くて受け取ってもらえなくなる。
付き合ってる彼氏が、突然プレゼントをくれたら嬉しいし、何かお返ししなきゃって思うけど、通りすがりのおじさんが突然プレゼントをくれたら、怖いから受け取れない。何をお返しに要求されるのか、絶対何か裏にある、って思ってしまう。

だから贈与にはコツがいる。それなりの理由があるといい。知らないおじさんでも、ハロウィンでお菓子を配っていると言えば、ああそうか、と受け取ってもらえるかもしれない。でも、その分ハウは小さくなる。

知らないおじさんじゃなくて、町内会のおじさんだったら、だいぶ受け取ってもらいやすくなる。
なんとなく関係性があるから。
なんとなく理由があるから。
そして、なんとなくハウが発生する。

贈与する側は、無理してはいけない。
無理して自分の身を削って何かを贈与しても、相応の見返りはない。
投資ではないから、贈ったものは戻ってこない。
ハウが戻ってきたら、そこで贈与は終了だから。
戻ってきちゃいけないから。
だから、なるべく自分にとっては重要じゃない、でも相手が必要としているものを探して、あげよう。

贈与される側は、すぐお返しをすると怒られることがある。
モノをもらったらすぐにお金を返すのは最悪だ。
贈与による関係性の構築をその場で清算する、なかば拒否するような態度になるからだ。誰だってハウはもらいたくないから、早めにお返ししたくなるけれど、受け取ることも重要。

いまおススメなのは、「誠実な関心」をあげること。
いまの時代、SNSで情報が溢れて、誰もかれもが注目されたいと承認欲求を持っていて、そして満たされていない。誠実な関心を寄せてあげることは、かなりの場合、贈与になる。
よく分からない場合は果物を贈ろう。あんまりもらう機会ないし、それなりに高級だし、でも贈り物として定番だから。

自分の身を削ってまで贈与することを「ポトラッチ」と呼んだりする。
もちろん効果は大きい。でも持続しない。
関係性は長続きさせたいから、無理してはいけない。
健康を害する恐れがあるので、ここでは推奨しない。

参考文献


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