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ロビン・ダンバー「宗教の起源」~共同体の規模

みんな大好きダンバーさんの新刊が出ました。原著は2022年、日本語版は2023年10月29日発行ということで、まだ発売日前じゃんw フラゲw

なぜ人間は宗教を信じる傾向にあるのか
宗教を信じることがなぜ実際に有益なのか
――この二つをそれぞれ少し変わった切り口で考えていきたい

P22

という非常に興味深いテーマの本となっています。まずはダンバーさんお得意のダンバー数について、第4章から共同体の規模の話を紹介していこうと思います。


社会脳仮説

社会を形成するには、構成員同士の関係を把握するのが大事です。AさんとBさんは仲がいいけど、CさんはAさんとだけ仲がよくてBさんとはうまくいってないから……みたいなことを考えないと社会はやっていけません。面倒ですね。

こうした複雑な関係性を考えるためには、大脳新皮質が発達している必要があります。大脳新皮質の大きさが、そのままその種族が構成可能な社会の大きさと相関する、という考えが「社会脳仮説」です。

これによると人間の集団の大きさは150人くらいが限界になるそうです。それより大きくなると脳が把握しきれなくなるんですね。これがダンバー数です。

個人の社会ネットワークの同心円構造(P105)

接触頻度と助力意欲

接触頻度が高い人ほど円の内側に近くなります。今はたとえ仲が良かったとしても、接触頻度が減ればどんどん円の外側に移ってしまうのです。時間と努力を惜しめば友情はすぐに薄れるのだそうです。

相手が自分に時間をかけてくれているほど、それに応えて相手を助けてあげたいという助力意欲も高まります。

時間は誰にでも平等なので、それを誰にどれだけ使ったかが社会関係を規定するのですね。

共同体の最適サイズ

どれくらいの集団サイズが良いかというのも、上記の同心円に沿って考えることができます。

世俗的な実践共同体が管理体制なしで存続できる限界値は約40人

P118

リーダーとか管理職がいないなかで、みんなで仲良く何かをやろうとするときは、お互いのことがよく分かっている必要があります。それは学校の1クラス分くらい、50人以下の集団でないとうまくいかないそうです。それより人数を増やすのであれば、共同体のルールを作ったり、それを監視する役割を設ける必要が出てきます。

教会の信者集団では150人

P118

宗教的な集まりの場合、自らの意志で教義を守りたい、と思う人たちが集まっています。その教義がルールとなるおかげで、単なる実践共同体よりも多い人数が集まれるようです。しかし、これ以上の規模になると、やはり教会も不安定になってしまうとのこと。

これ以上の規模になると、集団内で聖書の読書会、討論会、祈りの会、ボランティアなど小さな集まりをつくることで問題を解決しようとする。人数は15人前後が最適で、定期開催されることが必要なようだ。

P116

所属集団への満足感を生むもの

どうして、人数が多すぎると集団は不安定化してしまうのでしょう。その理由として以下の3つの側面が挙げられています。

  1. 感情的側面。集団のなかでの居心地のよさや安心感と、集団の役に立ちたいという意欲。

  2. 目的意識。集団の気風や展望。

  3. 社会的側面。自分が集団にどこまで根を下ろせているか。

集団が大きくなると、誰だか分からない人が増えて、集団における自分の存在感が薄くなってしまいます。そうしたことが満足感を低下させ、集団から離散・分裂するように変化してしまうのでしょう。

身近なコミュニティの規模は?

大企業はいくつかの部門に分けられ、さらに内部では小さなチームごとに運営されています。こうした階層構造は、まさにダンバー数の同心円の関係になっている場合が多いのではないでしょうか。

あまり階層が存在しないフラットな趣味のコミュニティはどうでしょう。15人くらいの規模なら仲良くおしゃべりできると思います。150人くらいがひとつの上限で、それより増えるのは難しいかなぁと思います。もっと人を増やしたいのであれば、しっかりとしたルールや役割を決めて運営する側を用意する必要があります。

別に趣味のコミュニティは150人で頭打ちになってもいいのですが、コミュニティがフレッシュで居続けるためには新規流入者が必要です。そのためには、常に卒業して抜けていく人が必要になります。いかにして古参を追い出すかが、コミュニティを生き生きと保つ秘訣になりそうです。そうでないと、新規流入の途絶えた限界集落となって爆散するしか手立てがなくなるわけですね。

そうやって3~4年で消えていくコミュニティが多いのもまた真実。。。


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