社会学的想像力:社会学者の使命
さて、ついに本書の一番最後、第十章にやってきました。第九章がこの本の「サビ」の部分で、この第十章は後奏にすぎません。軽く流していきましょう。
第九章で、人々は理性を失って合理性に支配された陽気なロボットになってしまった、と筆者は嘆いていました。だから、まだ理性の残っている社会学者諸君は、今こそ立ち上がって人々の目を覚まさせるべく、議論をふっかけるべきだ!と煽っているのが本章です。
みんな気づいていないんだ、忘れているんだ。自分の理性を。自分がやりたいと思っていたことを。自分の本当の気持ちを。それを思い起こさせてやるんだ。
今のお前の合理的な判断は、社会構造から押し付けられただけのまがい物の意志で、本当のお前の理性じゃないんだ。さあ目を覚ますんだ。きちんと自分の気持ちを自覚するんだ。好きなものを好きというんだ。人目を気にしてランキングを追いかけるのはやめるんだ。自分の好きなものを、自分の心からの気持ちで向き合って、しっかりと愛するんだ!
まさに、この記事のとおりです(有料ですが)
つまり、ぷろおごは社会学者だということですね。ちゃんとミルズの意志を継いで社会学者としての使命を果たしていてえらい!
でも、まだまだSNSの小さなコミュニティ内で意見を述べているだけでは弱いとミルズさんは言います。もっと国政にものを申せと言います。
さすが1959年って感じ。こうした言論にほだされて、60年代の学生闘争とかが始まったのかなぁと思うと、歴史を感じますね。まさに、そういう時代だったからこその解釈。歴史的背景が変われば、とるべき戦術も変わる。今はツイッター言論が強い時代のようですよ、ミルズさん。
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