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⑥意識高い系ワナビーたちに明日はあるか~ピエール・ブルデュー「ディスタンクシオン」より

今回は第三部「6 文化的善意――中間階級」の感想です。かつて日本は一億総中流社会と揶揄されたこともあり、今は貧富の格差が広がっていますが、心の中ではまだまだ中間階級な人が多いのではないでしょうか。

中間階級による文化の大衆化

この章では中間階級、プチブル(プチブルジョワジー)について考察されています。現代風にいえば、意識高い系です。上流階級を夢見て、上流階級の真似をしているけど、一生上流階級にはなれそうにない人たち。そういう構造の中で生きている醜い姿を克明に説明している章です。

中間階級の文化は、前衛的探究の万人に理解できるような紹介であり、具体的には演劇・文学の古典作品の「脚色」による映画化、クラシック音楽の「大衆的」な「アレンジ」または大衆歌曲のクラシック風「管弦楽用編曲」といったものであり、要するにいわゆる「高級」週刊誌やヴァラエティーショーを構成するすべてのものであって、それらは供給された生産物が即座に近付きうるものであるということと、それが外側には文化的正当性の表徴をまとっていることという、普通は相容れない二つの特性を結び付けることによって、もっぱら自分は正統的消費の高みにいるのだという感情を万人に与えることを目指して作られているのである。(P630)

意識が高いので最新のビジネス書などを読み漁ったりするのもそうですね。昔から蓄積されてきた古典の叡智を、分かりやすく万人向けに解説したものを一生懸命吸収して、自分が高みに登っているのだと感じる。古典の読書サークルに参加して、大衆向けに翻訳された解釈をみんなで議論するのは、非常に中間階級的な喜びに満ちた活動と言えるでしょう。

正統な学問と亜流の独学

中間階級は、上流階級のような正統な文化を持たないので、勉強についても独学の亜流になりがち。その結果、反ワクチンとか陰謀論とかにはまったり、エセ科学やインターネットの真実に感化されやすい傾向がある。

何か製品を買う場合には、ある種の「ブランド」がもたらしてくれる「質の保証」を信用すればその製品の質についても安心できるものであるが、これと同様に正統的な投資感覚というのは、本ならばどこの出版社のものか、映画ならば監督は誰か、コンサートならば上演ホールはどこかなど、多くの場合は外部的な指標で武装しながら、「選り抜きの」文化消費とは何であるかを見きわめることを可能にしてくれる。ところがプチブルの人々はこの種の感覚を持っていないので、テレビのクイズ番組の回答者たちがしばしば場違いな答えをして滑稽に映るのと同じく、常に知り過ぎか知らなさ過ぎかのどちらかに陥る危険にさらされており、したがって雑多な、そして多くは格下げされた学識を限りなく溜めこんでゆくのだ。(P640)

中間階級は、上流階級のように「人とは違う、特別な存在」になろうとして、正統ではない邪道な知識、方向性に進みやすいということだろう。本当は、正しい知識を蓄えた上で、そこから導き出される新しい自分の考えを示すのが教養であり、上流階級の行っている新しい文化の創出なのだが、そうではなく「なんか知らない知識を見つけたから、これをオレの文化にしよう」と流されてしまうのが中間階級のハビトゥスなのだ。

本書で描かれているプチブルというのが、現代に当てはめると、マルチ商法に勧誘されてはまり込んでいく人、みたいな感じがする。マルチのトップが上流階級と考えると分かりやすいけど、それでいいのかは謎。

3種類のプチブル

ここで中間階級を3つに分類する。下降プチブル、実働プチブル、新興プチブルの3つだ。

下降プチブルは、相対的に年齢が高く学歴資本の貧しい人々であり、そのすべての選考の中に退行的性向を示している。職人・小商人が多く、かなりの経営困難に直面していて、彼らは一貫して時代に逆行するような選択をおこなう。自分が「簡素」で「まじめ」で「正直」な生活を送っているおかげで何とか現在の位置を保てているのだと確信しているので、どんな領域においても最も厳格で伝統的でもある。(P671)
実働プチブルは、一般管理職や事務員のように最も確実な未来を提示する職業についている若年者、庶民階級の出身で中くらいの学歴しか持っていない人々である。学業成績に応じて処遇することをめざす穏健な改良主義へと向かい、自分がもちたいと望んでいるものすべてを教育から得ることを期待している。純粋で裏のない善意と献身を要求する。(P680)
新興プチブルは、父親の社会的位置からして当然得られるべき既成の位置や肩書を学校教育制度から獲得できなかった、上流階級から脱落した人々。新興プチブルは、人に商品を勧めたりイメージを作り出したりする種々の職業(セールスマンや広告業者、ファッションデザイナーなど)および象徴的財やサービスを提供するために作られた制度(看護師、結婚生活相談員、性問題専門家、就職アドヴァイザーなど)や、文化の生産あるいは促進にたずさわる仕事(ラジオ・テレビのディレクターや司会者、雑誌記者など)の中で自己を実現する(P693)

いずれの層も、既成の秩序を転覆させて自分たちが上流階級になりたいと思っている。そのために厳格になったり禁欲的になったりする。それが一番正しいと信じてやっているが、結果としてその行動が自分たちの中間階級としての地位を不動のものにしてしまう。

「正しいこと」は何も解決しない

こうしてみると、正義感は何の役にも立たないことが分かる。自分が必要だと思うハビトゥスは、結局今の自分の地位を確かなものにするだけで、文化を変えることはない。いくら厳格にルールを守っても、いくら禁欲的に我慢しても、どれだけ美徳を追及したところで、新しい文化は生まれない。それらは現状を維持するだけだから。

「そんなことやって何の意味がある、無駄じゃないか」という批判の声こそが最も無駄であり、現状を是としている。ツイッターとか見ていると、政府への批判、有名人への批判、会社への批判、社会への批判、さまざまな意見が渦巻いているが、それはつまり日本人が一億総中流で現状維持を是としている証拠なのだ。

もし本当に上流階級になりたいなら、無駄なことをしよう。効率とかコスパとか便利とかは捨て去ろう。なるべく意味のないことをしよう。それは、とても無駄なことだから。みんなやりたくないでしょう。だって、みんな心の底から中間階級だもん。それが私たちのハビトゥスなんだよ。諦めよう。

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