聖性の構造=カリスマ性の維持の仕方

聖性、簡単にいうとカリスマ性みたいなやつ。


聖性のはじまり(主観ブロック)

一番大事なのは、一般人、凡人であるあなたが、あれはすごい!と感じることです。奇跡だ!

あの若さで将棋があんなに強いなんてすごい!
4回転ジャンプを軽々と決めてすごい!
甲子園でノーヒットノーランを決めたエースで4番がすごい!
心にしみわたるレモンの歌を作ってすごい!

誰かがすごいと思うから、勝手にカリスマ性を感じるから、その対象となった人物・事象はすごくなる。
誰もすごいと思わなかったら、たとえ世界一リンゴの皮剥きが速くても、何のカリスマ性も生まない。
誰かがすごいと思えば、たとえ世界的には全然すごくなくても、学校で一番スマブラが上手な小倉くんはカリスマなのだ。

このとき、特に「すげー」と思う瞬間が個人的にあるだろう。その瞬間のことを「ヌミノーゼ」と呼ぶらしい。

共感する仲間を増やす(メディアブロック)

一人ですげーと思っていても、カリスマ性はあんまり広まらない。
でも、すごいものは布教したくなる。
友達にも、このすごさを伝えたくなる。
宣伝しよう。

こんなことがあったんだよ、と噂話で広まるかもしれない。
本に書いて出せば、もっと多くの人が読んで共感してくれるかもしれない。
テレビやラジオで取り上げられたらもっと広まるかもしれない。

こうやってカリスマ性を広げていくのはメディアだ。
別にテレビ局だけがメディアではない。
あなたの小さなツイート一つでも立派なメディアとなる。

カリスマ性を維持する(制度ブロック)

ここが一番の肝。あまり意識されてないけど重要なパート。

人間、誰しも刺激に慣れてくる。最初はすごいと思ったことでも、だんだん普通のことのように感じてくる。カリスマ性を維持するのは難しい。

メディアによって人が増えると、すごいと思う人は増えていく。
すると最初のうちからすごいと思っていた人は、古参になる。
相対的にカリスマに近い存在。
そういうのがのさばるのは良くない。
カリスマの名を借りて他の人がカリスマを乱用するのは防ぐ必要がある。
そういう制度を作るのが重要。

カリスマは、一般大衆と距離を保つ必要がある。
身近な存在になると、卑近になる。慣れてしまう。
希少な現象、希少な存在だからこそカリスマになれる。

カリスマ本人を少し遠い存在として露出を減らし、
カリスマの名を騙る不届き者を排除し、
適切に宣伝して広めていく制度。

聖性の具体例

具体的には、例えば将棋連盟。
将棋は多くの人にとってあまり身近ではないが、定期的に試合を開くことで強い人を決める。勝った人はすごい。みんなにすげーと伝える。カリスマ性を宣伝しつつ、カリスマと大衆の距離を保つ。

もし、すごく強い棋士がバラエティ番組に出て、将棋必勝法伝授!とかやったら、身近になりすぎる。短期的には売れるかもしれないけど、カリスマ性がなくなってしまう。

フィギュアスケートの選手は微妙なところだ。一時期、ちょっと大衆に寄り過ぎた。荒川静香さんのように、聖性を捨てて完全にメディア側に回ってしまうのも一興だが、浅田真央さんのように完全に卑近な存在となって見なくなってしまうケースもある。

せっかくのカリスマ性、大切にしていきましょう。

出展


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