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テンニエス「ゲマインシャフトとゲゼルシャフトー純粋社会学の基本概念ー(下)」

前回、上巻をざっと読んで満足して放ったらかしになっていた下巻ですが、もう二度と読む気がしないので雑にまとめておきます。

そもそも、本書は人間の群れ・社会の分類について書かれているのかな、と期待して読み始めたわけですが、どうもそうではないらしい、というのが後半、鮮明になってきます。上巻の主題に書いてあったとおり、

有機体の生成および消滅の傾向と必然性は、機械的な方法では理解されない。人間についていえば、生物学的単位としての人種、民族、部族に向けられるべきではなく、人間の諸関係や諸結合を、生きたものとして、あるいは逆に単なる人工物として捉える社会学的な考えが問題なのである。そして、この社会学的な考えの反映と類比は、個人意志論のなかに見いだされる。したがってこの意味において、心理学的問題を提出することが、この論文の第二篇の課題である。

(上)P40

ということで、下巻では個人の意志とはどのように生まれるのか、個人の心理がどのようにして社会に反映されるのか、といった観点が深堀されています。これが、読んでて苦痛なので、表面的に理解して終わりにします。

たぶんこんな感じ

人間の意志は「本質意志」と「選択意志」に大きく分けられます。本質意志というのは身体的欲求に従ったもの、自分の内から湧き出るもの、自分に固有の意志です。

感受性、外からの刺激に対してどう思ったか、という植物的意志。運動、身体を動かすことで感じる動物的意志。さらには、思想、言語、知的刺激などがもたらす精神的意志も、すべて本質意志に含まれるそうです。

では一方の「選択意志」とは何かというと、これは外部からもたらされたもの、資本主義的に判断して最適なものを選び取ろうとするような、AIが判断するような、機械的な意志です。現代に生きる私からしてみれば、それって意志なの?外的条件にあわせて踊らされてるだけでは?と思うのですが、まぁでも安くて旨いものを食べたいから永遠にラーメンと牛丼を選択し続ける若者の意志なんてそんな程度だよね、という話もあるので。

私たちの「選択意志」は選ばされた意志。自分の身体にそって選んだ意志は「本質意志」と考えればそんなにハズレていないと思います。そして、この「本質意志」によって集まった集団がゲマインシャフト的な集団であり、女性的な集団なんだそうです。感情を重視して心でつながるムラ社会って感じです。

資本主義的な「選択意志」で集まった集団はゲゼルシャフト的な集団であり、男性的な集団だそうです。効率を重視して、最良の結果を追い求める競争社会って感じです。

さらには、そうした意志から形成された集団を統治する「法」とはどのような性質のものか、みたいな議論へと発展していきますが、もうどうでもいいです。お疲れさまでした。

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