伊予柑日記 強さ研究所はじめました
(※これは2024年1月のログです)
言葉の定義
強さ
ここで定義する「強さ」とは、「様々な資本」のことです。
資本はお金、健康や知識、人間関係など様々な「自分の手元にあるもの」です。
強いと、誰かを守ったり、理不尽なことあがっても健やかさを保てたりします。
この研究所の目的は「強さ」の構造を解き明かし、誰でも手に入れられるようにすることです。過去のスラムの成果としては「寝ると健康になる」「ともだちがいると幸せである」「新しいことに挑戦すると成長する」などが文献調査と実践により明らかになってきました。こうしたごく当たり前のことを、真面目に考えています。
父
「強さ(様々な資本)」を「地元の利益代表の責任を引き受ける制約で保持する」のが「父」というロールです。それを「役割として明示的にやる人」です。明示が大事。
店長は明示的に店を守っているので、父です。太客は貢献していても匿名なので父ではありません。
強さをめぐる議論の問題意識は「集めた資本があっという間に消えてしまう」という「保持」にあり、父は保持の方法の一つ。
掃除
広義の意味で「掃除」を引き受けるようになるのがおすすめです。「特にコミュニケーションが必要のないもので、みんなのためになる仕事を率先してやる」
最近、掃除のコスパがいいことに気がついてきました。飲み会の幹事やるよりも、飲み会のあとで掃除したほうがコスパがいい。
掃除、基本的に失敗しないんですよ。筋トレとおなじで、やればやるだけ効果がある珍しいやつ。刺激がないからADHDの俺にはつらいですが。
トイレットペーパー切れそうでしたって言ってくれる
お釣りが出ないように払ってくれる
軽くでもテーブル拭いてくれる
ドリンク取りに来てくれる
とかも好きになっちゃう。掃除ってのはあくまで象徴的な言葉であって、誰かが喜ぶことを気を利かせてできる人が好かれやすいと思う。
社不
社不(社会不適合者)という単語があります。この社不とはなんぞや、というのが定義されないまま議論されると平行線なので、伊予柑の個人定義をしてみました。今後、社会が社不に厳しくなっていくと思われます。目指せ2点。
社会資本
社会資本(しゃかいしほん)とは、主として次の2つの意味で使われる。
社会学における社会関係資本(social capital、仏:capital social) - ソーシャル・キャピタルの項を参照
経済学における社会共通資本(social overhead capital:SOC) - インフラストラクチャーの項を参照
今回は社会関係資本を扱う。以下は伊予柑定義による非経済資本の分類。
身体能力
健康
容姿
運動スキル
筋力や目の良さなど測定可能な身体能力
文化資本(ブルデュー定義による)
客体化された文化資本(所有している本や楽器、ファッションなど、所有するモノ系)
制度化された文化資本(学歴、簿記2級、弁護士免許。証明があるもの)
身体化された文化資本(マナー、振る舞い、家事能力、生活習慣など自然なもの)
教養
知識
処理スキル
認知(世界をどう捉えるか)
関係資本(社会関係資本。ソーシャル・キャピタル)
家族環境
仕事や学校のつながり
友人のつながり
ブランド(第三者からの評判やイメージ)
信頼
金融的な信用(クレジットカード限度額など)
なぜお金以外の資本なのか
キングコング西野さんが一時期オンラインサロンを「コミュニティ」にしようとして、Discord立ち上げたり、レンタル会議室作ったり、全国に飲み会にまわったりして、それはもうマジでガチで努力してたんですね。特に彼の地元である川西には力をいれていました。その結果どうなったのか? 川西に足を運んで地元住人にききました。「マルチに食い荒らされた」
コミュニティに価値があるとして有名になると、すーっとマルチの人が寄ってくるわけです。しかもキンコン西野さんのコミュニティは経営者とかおりますので、それはそれは美味しそう。
スラムがそうなっていないのは、単純に「こいつら金がなさそう」なだけですw あと規模が小さい&わりとまともに管理している(=コミュニティにとって悪になる人間をBANしてる)。
「コミュニティだ、コミュニティだ」とここ数年騒がれながら、成功事例をほとんど耳にしないのは、運用がめちゃくちゃ難しいからなのでした。
だからスラムは「みんなの欲望が反応しそうなコミュニティ」のフリを一切してないんですよ。スラムの表向きのテーマは読書と健康ですからね。市役所のパンフレットみたいな平坦な内容。実際に入ってみても、掃除して睡眠して挨拶して編み物してるので、市役所ですね。
俺の仮説では最もコスパの良い社会資本購入窓口が自民党なので、1年くらい地道に遊ぼうと思っています。年会費は4000円。スラム半年分です!
マルチ対策
だいたい30人の良客に対して、1人のマルチ(サークラ女や、宗教、マルチ、裁判上等アスペ等全てひっくるめて)がくるので、それを排除するのが仕事。そしてマルチはマルチの顔をしていない。ただ「いい人」として入り、3回目に勧誘する。これをどう見つけ、排除するか。
コミュニティ系じゃない場合は比較的大丈夫。ラーメン屋にマルチがきてもなにもできない。スラムやかみなみたいな、人間関係そのものが魅力の場だと、困るってかんじ。なのでまずスラムは「読み物化&古参の活躍の場をポジティブな方向のみに絞る」ことでトータルリスクを減らそうとしている。
以上によりスラムは「コミュニティとして魅力が出るほど古参特権を排除し、社不へのあたりが厳しくなる」ことになります。やりたくてやってるのではなく、どうしようもない。なので「マルチが寄ってくるような汎用的な魅力」ではなく「一般人は興味がないが、スラム民なら魅力的な方向」にもっていかなくてはいけない。エデン池袋の「革マル派と話すならエデン池袋!」みたいなブランディングが、それです。
くだものを売ろう
くだもののいいところ
おいしい
単価が高くできる
日本一の商品が入手できる、世界での競争力もある
リサーチをつぎ込むと品質が上がる
パーティにできる。儀礼やともだちと相性がいい
贈与と相性が良い
子どもでも妊婦でも食べられる
ライバルがほとんどいない
マーケットとしてあと数十年存在する
ライバルは「酒」でしたが、酒と比較検討した結果くだものが勝ちました。くだものはワインや果実酒にも展開できるので、強い。
くだものは日本一の商品が簡単に入手できるところが強みです。くだものの課題は「生産量にむらがある」「タイミングや輸送がシビア」なことであり、ここさえクリアすれば最高の商品が手に入る。
つまり、「1万円出すし、ポッターさんが車でとりにいくので、一番いいタイミングで余った最高の桃を売ってください」というと、最高の桃が安価に手に入る。高級くだもの屋が高いのは、生産量のむらやタイミングの値段が入ってるので高い。
そして日本一のくだものが手に入れば、単に楽しいパーティができる。日本一の桃を食べるパーティ3000円、別に高くない。桃を食べるとハッピーになる。ゆえに、高級ウイスキーを売るよりも、くだものを売るほうが競争力が得やすい。
美味しいくだものマーケットができれば、贈答用くだものや、果実酒などにも展開ができる。しかし、ここらの安定した品質のくだものはデパート系のライバルが多いので、勝てるかというと微妙である。
くだもののなかで「他人が手を出さないニッチだけどマジで美味い」マーケットを作れると、勝てる。3年後ぷろおごが農林水産省大臣と握手している写真がゴール。
「リサーチをつぎ込むと品質が上がる」というのも大事で、商品の種類が超おおい上に季節物なのでどれがうまいか正確な情報が把握しにくい。また、くだものを食べるというのは2000年の歴史があるので古典から知識を得られる。
これがウイスキーだと「世界一美味いのはコレ」というのが確定させやすい。保存が利くから、比較検討できてしまう。そうすると大資本に勝てない。中島くんに知識をぶちこんでくだものインフルエンサーにした場合、半年で日本一がとれる。
ウイスキーはリサーチつぎ込んでも品質一切変わらん。くだものはバリエーションがある。さらにレシピとか食べ方もバリエーションがある。味は「音楽の品質とおなじ」で、99%はわからないけど、専門家1%をうならせないとダメ。 将棋とおなじで「棋譜を読める驚き屋」の表情をみて、一般客は驚くので。
ちなみにシーシャマーケットとかもだめで「日本一の商品」が絶対に手に入らない。単なる輸入販売だと差別化要素が全くない。俺たちが本当に日本一の商品を手にしないとダメ。
結婚相談所はぷろおごが育休で消えたときはワークしなくなるビジネスだが、日本一のくだものをゲットできれば育休で消えても大丈夫。ということで、「くだものを売ろう!!!!」というかんじになりました。具体的なあてはまったくありません。
「ともだちと、くだものを」だな。作るのは「他人と特別を共有するきっかけ」です。酒もいいけど人を選ぶし、他の会社も提供できるのね、くだものでトライするのがいいかなと。くだものは1年かけて食べたり調べたりしてノウハウを蓄積して、ちょっと売ってみるくらい。
スラムにおいて「読書」がきっかけでしかなくて、オンラインの「対話」が目的なように、「くだもの」は手段で、コロナ後の社会における「ともだち」が目的。くだものがイケてなかったら次に。
社会関係資本を蓄積しよう
いま、ぷろおごを取り巻く世界観を考えているのですが、「社会資本を蓄積しよう」という「善」になるなとおもっています。対立する価値観としては「金を蓄積しよう」とか「資本の蓄積ではなくコスパよく乗り切ろう」というものです。Twitterの価値観がこの2つなので、対立する言説として「社会資本を蓄積しよう」になる。
「今後10年を考えると、何も無い人間には社会資本くらいしか稼ぎようがない」だ。お金は性質上、同一価格に向かっていくので、努力しても稼ぎようがない。
社会のレールに乗れる人 → いいね!そのまま稼いで税金を払おう!
社会のレールに乗れないが、健康できたり社会資本を貯められる程度にはゆとりがある人 → 生活費稼いだら、あとは社会資本ハックをして余裕をつくって人を助けよう!
社会のレールに乗っかれないし、健康もできない人 → 俺たちは2の立場としていつか助けられたらいいなって思ってるよ! 1が税金払ってくれてる! 睡眠がおすすめ!
スラムは2です。3は福祉(税金)の世界。
社会資本の重要性という意味で、贈与論とか、ブルデューとか、そういう話になってくる。ここらへんは過去のスラムの課題図書でも現れている。
そうすると、スラムの価値というのは「ここにくるとあなたも社会資本が手に入る」になる。ここでいう社会資本は圧縮すると「ともだち、教養、くらがりへの勇気」などです。
では、その社会資本を最も求めている人はだれなのか? それがマーケットになる。素朴に考えると「孤独な人」です。孤独な人とはだれなのか。一つは「地方から東京にきたひと」とかです。地元の友達がゼロになるので、東京にきた瞬間に「友達が欲しい」というニーズが生まれる。「地方に友達がいないひと」とかもわりとわかりやすい。身体的ハードルにより友達ができにくいひともそれにあたるだろう。ここらへんはスラムにも多い。
地元でうまくやれるには能力が必要で、うまくやる能力が足りない普通のひとはとりあえず50万以下の都市は人間の総数が足りないので、ある程度の都会にでたほうがマシになる。
儀礼の外にある関係
すごく身も蓋もない結論をいいますが、「お互いすごくいい関係の30人に年賀状を送れたら人生完了」だとおもいます。(年賀状の定義は「年に1回以上合うひとに自分の意思でおくる。ただし、職場やコミュニティなど儀礼によって週1など定期的にあう人には送らないものとする」とします)
たとえば自分には「正月だけ合う話すと楽しい親戚」がいます。ただし、彼とは正月という儀礼によってつながっているので、これが儀礼抜きで合うようになったら最高。
「儀礼の外にある関係」って、なかなか難しいですよね。つまり「職場、学校、OB会、正月、PTAなど何らか組織の定期的なルールに基づいて会う」以外ってことなんですが。
儀礼外で関係性を維持できる人、けっこう少数派だとおもう。そこらへんも関係資本ハック(??)だとおもいます。掃除や年賀状をハックと呼ぶかはよくわからんが! 儀礼によらない関係資本獲得。儀礼によらない関係って「あなたが好き」か「あなたと取引したい」くらいしかないですね。
おれたち(主語でかめ)は儀礼や取引が苦手だからこそ、儀礼の外側についてもっと解像度を高める必要があるんだな。
階層を上がれるか?
越境しないほうがだいたい幸せなので、その通りである。なので社会資本は「別解」になる。同じ階級でうまくやれなかった人向け。
そして「別解に辿り着けるのは余裕がある人だけ」というクソみたいな事実もある。スラムでいわれて健康できるのは上位2%くらいであるのと同様。別解は裕福の証。あらゆる活動は『ヒップホップで「俺たち貧民、この社会にファック」みたいにいってるやつ、その貧民クラスタの上位0.01%』みたいな側面がどうしてもある。
しかし、口をつぐむのではなく「別解はあるんだ!たどりつけるんだ!」と自分のことを棚に上げていうべきである。分をわきまえて自分の得たものを言わないのは確かに保身の意味で「賢い」態度なのだけれど、あまりに個人主義である。
別解にいけるくらいある種の社会資本的裕福さがあるなら、それを分け与えられるまで育てて、分ければいいと思う。肉を取れる筋力がある性別であれば、肉をとって母と子に分けるのが父という役割である。
だから、おそれず、強くなろう、というのがこの強さ研究所ができた経緯です。自分の幸せから、みんなの幸せに。
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