名人に香を引かれた加藤一二三九段と対局経験のある者同士の王将戦

第72期王将戦第4局が終局しました。

藤井王将は中盤のクソ難しい局面で長考して人間離れした正確な手を指すイメージですが、本局はその長考の末の悪手であったそうです。
もちろん初段の私には理解が及ばない話です。

王将戦の第4局といえば、約70年前に、伝説となる1局がありました。

王将戦、というか将棋の有名なエピソードの1つに、「名人に香を引いて勝つ」というのがあります。
それです。

1950年代の王将戦設立直後は、7番勝負は必ず全部戦ってもらう、勝ち星の差が3つ開いたら半香の手合にする。
という決まりがありました。
半香の手合とは、平手と香落ちを交互に指すという、要するに駒落ちで対局する、ということです。
これはとんでもないルールです。
タイトル戦が、駒落ちで指されるのです。

これを差し込み制度と言いますが、これは1965年度の第15期からは、4つ開いたら半香の手合にすると同時に、どちらかが先に4勝したらタイトル戦は終了、となりました。
つまり、半香の手合になっても、すでにタイトル戦としての決着はついているのでそれ以上対局は行わないため、第15期以降は香落ちの対局が行われることはありません。
というのが現在の王将戦です。
ただ、1965年以前の王将戦は、実際に香落ちで対局することがありました。

これが、とんでもないことを引き起こしたのです。

たとえ名人だとしても、負けたらルールに則って香を落とされるのです。
江戸時代から続く将棋界の歴史で、名人が香を落とすということは当たり前のように多々ありましたが、逆に香を落とされるなんて、名人がハンデをもらうなんて、そんなことは金輪際あり得ませんでした。
だって名人が一番強いんですから。


名人が香を落とす。
そんな大事件で、本当に事件になったエピソードと、伝説になったエピソードがあります。
どちらも升田幸三物語に欠かすことのできない出来事です。

1つは陣屋事件と言われるもの。
第1期王将戦で将棋ファンではおなじみ神奈川の陣屋で起きた事件。
升田八段が当時の名人である木村名人を、この香落ちまで追い込みました。
さぁ今日は木村名人に対して升田八段が香を落として対局するぞ、という日に、升田八段が対局拒否をした、という事件ですね。

もう1つが伝説となった、名人に香を引いて勝った一戦。
それが1955年の第5期王将戦第4局です。
大山名人に対して香落ちで勝った升田八段(当時)。

しかし、1955年の話なんて、あと30年もしたら、100年前の話になります。
大山十五世名人も升田実力制第四代名人も、平成初期に亡くなっており、2023年の今は、今一つピンとこないエピソードです。
陣屋事件も、升田幸三物語の一幕のような印象です。

教科書にしか乗っていない、誰も知らないことのような感覚があります。


ではもう少しピンとくるように、現在挑戦中の羽生九段に絡んでお話をします。
羽生九段の師匠、二上達也九段も、13期王将戦で香落ちを体験しています。
当時の大山名人に挑戦し、連敗し、香落ちでも負けています。

とは言え、二上九段も亡くなって7年ほど経ちます。
昔から将棋好きなのよというオジサンオバサン世代なら、あー二上九段か、となりますが、ここ最近将棋にはまったよ、という方は恐らくあまりピンとこないかと思います。
ちなみに「ニカミ」ではなく「フタカミ」です。


そこで、次はみんな大好き「ひふみん」こと加藤一二三九段です。
加藤九段は戦前の生まれでもう引退されていますが、2023年の今も元気です。
しかも羽生九段も藤井竜王も、どちらとも公式戦で対局したことがあります。
今生きている人で王将戦香落ち対局を経験しているのは、加藤九段ただ一人なのではないでしょうか。
そんな加藤九段は若かりし頃、この王将戦で大山名人に屈辱を味わわされました。

それが、1962年2月21日(1961年度)、第11期王将戦第4局です。
当時の加藤九段は、今の藤井王将ぐらいの年齢だったかと思います。

大山王将に3連敗してまさかの駒落ちに追い込まれた加藤八段、香落ちでの対局となりました。

大山王将の一間飛車に、加藤八段の棒銀という戦いでした。
大山王将は三間に振りなおし、向かい飛車に振りなおし、角交換から攻めだしました。
結果、棒銀は銀が捌けなかったら負ける、と言われるような、銀が泣いていると言わんばかりの、まぁ、大山王将が非常に上手く指したのでしょう、という内容で、加藤八段は駒落ちで敗れました。
もちろん細かい内容は初段の私ではまったく分かりません。

あれから約60年が経っています。
今の王将戦の舞台で将棋を指している2人のどちらも、60年前香落ちで負けた棋士と、公式戦で対局をしたことがあるのです。

王将戦の歴史を感じると同時に、その人が登場するだけで、60年前が少し身近に感じられます。

王将戦は2勝2敗となり、(たぶん)一番面白いスコアになりました。
フルセットになるともちろん最後の1局はめちゃくちゃ面白いですが、7番勝負の2勝2敗って、ここからの対局全部が、トータルで考えると、一番楽しみになります。
3勝1敗からフルセットになるより、2勝2敗からフルセットになる方が盛り上がります。
私だけでしょうか。

今後の展開が楽しみですね。

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