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幸せが何かって本当に難しい

変な時間に寝て変な時間に目が覚めてしばらくして、特に何があったわけでもないのに自分の人生の不幸さに涙が出た。なんだか随分久しぶりだった。
普段はそれが出来ないくらい自分の幸せについて意識してあげてないってことで、自分のために泣いてあげられたのは良かったことのように感じた。

まともに連絡が取れる家族も親戚も一人もいない、自分のことを選んでくれた恋人もいたことがない、お金もない、(切れたまま変えてないから)家の電気もつかない(電気スタンドの電気とPCの明かりだけで普段生きている)、冷蔵庫もない、テレビもない荒れ果てた家を20年以上も動かずにただ一人で生きている。

自分を大切にしてあげるのが苦手だ。
今日は仕事頑張ったからちょっといい物を食べよう、とかも値段をとても気にするし、(別に仕事頑張った日に給料増えるわけでもないから)、自分への誕生日プレゼントを買うのもいつしかやめてしまった。


でも、そんな自分には無い物を持っている人が幸せそうかというと必ずしもそうではないのも知っている。知ってしまっている。
お金も名誉も家庭もあるのに自死を選ぶほど辛い人だって世の中にはごまんといる。

結局人は希望を食べてしか生きていけないのかもしれないと思う。
あれもこれも無いからこそ、もし恋人が出来たらきっと幸せになれる。
もしお金があればきっと幸せになれる。
もし家がもっとまともな状態ならきっと幸せになれる。
そんな希望を食べながら生きているのかもしれない。
全て手に入れてしまうと、ああ、全て手に入れても幸せではないんだ、じゃあどうすれば幸せになれるのか、とかえって辛くなるのかもしれない。

悲しいかな人間は欲しかったものを手に入れても結局その幸せに慣れてしまう。
これを手に入れれば幸せかもしれない、と考え続ける限り、きっと幸せにはなれないんだろう。


足るを知る、今持っている物に幸せを見出す。
どこまでいってもそこにしか幸せは無いんだろうな。
幸い自分は健康で、お金も暮らしていける最低限はあるし、家族や恋人はなくたって周りの友人達には恵まれているし、大体何を食べても美味しいと感じられる。
それは本当に幸せなことだし、月を見て綺麗だなって思えたり、自然を見て癒されるなって思えたり、そういう風に思えることこそが幸せなんだろうとも思う。

まあそんなこんなでグルグルしながら結論も出ない話を普段はtwitter(X)に吐き出しながら、今日は文字数が多くなりそうだったからnoteに書き留めながら、どうにかこうにか日々を生きていこう。


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