地続きのリーダー

「地続きのリーダー」

「四方を海に囲まれた国の政治家なんて地続きの国に比べたら楽なはずだ。国民は経済にのみに専念すればいいだけだから」と談志はよく言っていた。メルケル首相の言葉に説得力があるのはそんな地勢学的な経験値の積み重ねからだろう。遺伝子的にトラブル慣れしているからこそ重みある言葉が吐けるのだ。海の向こうの大陸の為政者に求められるのは何よりも強いリーダーシップだ。評価は後々の歴史に委ねるとしても、ある意味トランプのような鬼っ子が出て来るのは大陸由来の「システムエラー」なのかもしれない。あちらの人々はいい悪いではなくそういう突出したキャラを心のどこかで求めているのだろう。
片や日本は島国。ましてや、1274年の文永の役、1281年の弘安の役という二度もの大国からの侵略を、神風で防いでもらったという過去を持つ。以降「なあに神の国だから」という安心感が子々孫々に受け継がれる結果となる(そして神の国発言で一世を風靡した人が東京オリンピックの仕切りを任されている^_^)。
平和に慣れ惰眠を貪るのが当然だったこの国は江戸末期に蒸気船で目を覚まさざるを得なかった。が、その時も当時の賢人たちが集まって「脱亜入欧」という急場しのぎのOSを作って何とか対応して乗り切った。このOSはかなり優秀で当座のつもりが50年以上も機能してしまう。ましてや日清日露と連勝が続き、「こりゃ永続出来るOSだ」と猛進した人たちが盲信して更新しないまんま突入したのが例の「日中15年戦争」という悲劇で、原爆二発でまたしても海の向こう側から強制終了させられた形となる。
そしてまたしても海の向こう側から新しいOSに無理やり交換させられたのだが、やはり日本人の「更新しない癖」は持ったが病で治らず、高度経済成長という成果をもたらしながらも、その歪みが公害、そしてさらには後年の原発事故となって露呈することになる。

いや、ほったらかしだったわけではない。

変革者は何人も出て来たのだがそのたびに自滅するか抹殺されるかという道を辿る。日本人には常に「突出した才能の芽を摘む」というシステムが内在されているのだろう。三島由紀夫と田中角栄、ややスケールが小さくなるが小沢一郎などを見ればわかる。談志もその中の一人だ。殉教者の受難を背負い落語界のOSを更新し続けたのだが、破門という憂き目を喰らう。さらにはその政治家的資質を朋友でもある石原慎太郎に見出されてはいたものの、沖縄開発庁政務次官を36日間だけしか務められなかったのがその証左だ。一門の先輩方は「36日間も務めた」と言ってオチを取るが^_^。

日本でメルケルやトランプみたいな政治家が出て来ない理由はそこだ。心の底からは実は誰も求めてはいないのだ。卓越したリーダーシップより「場の共感力」を何より訴求する国民性というか場の力学がある限り、豪腕が出て来たとしても四方の豊穣の海に飲み込まれてしまうのがオチだ。ドメスティックこそすべてなのだ。これは政治にとっては明らかにマイナス要素かもしれないが、この鎖国的平和性が芸術においては落語という世界に誇るべき遺産をもたらした。

さ、そして今回のコロナ禍だ。

孟子は「内憂外患がないと国は滅びる」とまで言い切った。政治主導ではない、民間の力を信じよう。トップが安倍さんから変わってもまた第二の安倍さんが出てくるだけだ。松元ヒロさんはこの最中「指導者としてのリーダーではなくて、官僚の用意した原稿を読むだけのリーダー」という最高のギャグを繰り出した。痛快、天晴れだ。

庶民を侮ってはいけない。「五日市憲法」という宝物を編み出す底力が我々には元来あるはずだ。大衆の叡智を信じられるかどうか。そこにかかっている。今こそ知恵を結集させて、みんなで乗り切ろう。

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